December 19, 2007
著作権は財産権、著作者人格権は社会的な立場を保護する
インターネットはやはり「良識の府」と思います。正論であれば、必ず、地球上のどこかに同様の意見を持つ人がいます。
万来堂日記2でも、著作権に関して、Falconと同様の意見を述べていたので、大賛成しました。
著作権は、著作者と著作権者の財産権を保護するものであり、著作物を売ったときの著作権料を受け取る権利なので、けして著作者に敬意を払うためのものではありません。著作者に支払われる著作権料で、次の新たな創作活動を保証する権利です。
ならば、著作者人格権は、日本の著作権法では、公表権、氏名表示権、同一性保持権であって、著作者の社会的な名声、立場、名誉、そこから生じる利益を保護するものです。著作物に表現された人格によって、著作者を尊敬するためものではありません。
「リスペクト」という英語の表現から、「敬意」という語を導き、著作権を論じている図書館学関係の教科書がありますが、読者に著しい誤解を与えています。それだけでなく、その教科書は、著作権法が頻繁に改正されているにもかかわらず、その改正も反映せず、その他の条文の解釈も誤っています。執筆者の方を非難するつもりはないですが、法律に関しては、出版社は専門家に依頼して、正確な記述を書かせるべきです。フィクションではありませんから、間違った記述があれば、「フィクションだからいいんじゃない」で済まされません。架空の問題ではないのです。あるテキストに関しては、出版社に申し入れて、訂正をお願いしてあります。
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11:18:38 |
falcon |
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下界は銃社会へ
このところ、銃の発砲事件が多い。私たちは、なぜ武器を手にするのか。
ニュースや新聞報道で、毎日、流されると、はじめはショックを受けても、しばらくすると驚かなくなる。これを減感作という。武器を手にすることがフィクションで賛美されたり、勇ましく生きることが美化されると、心がそれに慣れてしまう。怖いことだ。
Falconは戦争を経験したことはない。しかし、東京の郊外で育ち、ベトナム戦争の末期、立川基地(現在の昭和記念公園)から飛行機、ヘリコプターの飛び立つときの爆音が生々しい記憶にある。福生の横田基地にも行ったことがある。
そして、なにより沖縄の基地の町に住んでいた。子どもの頃から、飛行機の音になれていたから、それほど驚かなかった。人が殺されるところは見ていないが、あの基地の風景の先に戦闘の地が存在している。そして、沖縄の過去には殺戮の地があった。
「今の日本は平和ボケしている」と政治家をやめたオッチャンと政治評論家、軍事評論家、国際政治学者たちが喚いているテレビ番組をときどき見ているが、平和であることがどんなに大切か、考えてほしい。
「銃撃戦を、フィクションだから、いいでしょう」と言い切ってしまうことの怖さを考えてほしい。
政治家に本当の愛国心があるのならば、若者を大義も名分もない戦争に送り込んで、罪もない民間人を巻き込むことはやめるべきだ。
本当の国際貢献は、早くアメリカに軍事行動を止めさせる説得をすることだと思う。それが良識ある国家の取るべき態度である。石油を供給するかどうかを、意見の異なる政党同士が政争の道具にするのは、実に愚劣だ。
戦争は理由がどうであろうと賛美されることではない。
武器はけして手にしてはならない。
これは、どんなことがあっても、曲げてはならないし、譲ることはできない。
06:01:14 |
falcon |
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下界のことはさておき、宇宙を見上げてみよう
宇宙は限りなく広い。その中でも、片隅の太陽系に住み、毎日、些細なことに悩み、苦しみ、それを重大なこととして受け止めて、私たちは生きている。でも、それは何十億年のほんの一瞬に過ぎない。恐竜が生きていた時代と比べても、わずかなことだ。広い宇宙から見れば、私たちは塵のようなもの、長い時間の中に浮かぶ泡のようなもの。昨年、冥王星が惑星から格下げになり、準惑星になった。
そんな中、渡部潤一著『新書で入門新しい太陽系』(新潮新書)を読んでいる。
太陽のストーブに温めてほしい。
口絵が美しい。天王星と海王星は、この世のものとは思えない美しさで、他を圧倒する。木星も、土星も、実にダイナミックな姿を見せてくれる。
子どもの頃、天体望遠鏡で、金星、火星、木星、土星、勿論、月も見た。その頃のことを今でも思い出す。夜空を見上げると、自然と星の名前が思い浮かぶ。
宇宙のことを考えていると、日々の辛さを忘れてしまう。
こんな世界があったんだなあ。
01:11:28 |
falcon |
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