August 06, 2013

もうひとつのヨーロッパ:映画『海と大陸』

 先日、小田急線の下北沢駅へ行って、井の頭線に乗り換えて明大前駅へ行き、ここで京王線に乗り換えて、一駅先の下高井戸駅へ行くつもりだった。映画館で『海と大陸』が見たかったからだ。
 何を思ったのか、特急に乗ってしまい、明大前から調布までノンストップで行くハメになった。京王線明大前駅の乗り換えは、十分気をつけたい!隣の駅が調布駅になったら大変だ。

 それで、映画の開始にはギリギリ間に合って、最初の数分を見逃した程度で、ほぼ全編を観おえた。

 NHKラジオのイタリア語講座で取り上げていた作品なので、見たいと思っていた作品だ。
 イタリア映画といえば、明るく陽気な映画を想像してしまう。ビスコンティ監督やベトルーチ監督の壮麗で重厚な作品も少なくないけれどね。
 『海と大陸』は南イタリアのリゾートの島で起こる出来事を丹念に描いた映画だった。
 なんと言っても、地中海の海の青さが目に沁みる。そして島の荒々しい自然と人々の生活の貧しさが胸に沁みる。

 二十歳になったばかりの青年フィリッポは父を海で失った。葬式の後、残された母と祖父、叔父たちと必死になって生きる。住んでいた家を、北イタリアの都会からやってきた若者たちに貸して、自分たちはガレージに住む。
 北イタリアの都会の若者たちと南イタリアの田舎の青年フィリッポが対比される。頑固に漁業を守ろうとする島の老人たちと海水浴客目当てに稼ごうと観光業に専念するフィリッポの叔父が対比される。
 そこにさらに大問題が起きる。

 「アフリカから不法侵入が増えている件」

 「アラブの春」の時も、イタリア、フランス、スペインの南ヨーロッパ諸国へは、不法侵入者が大挙して押し寄せた。
 今、憧れのヨーロッパを訪れても、黒人、アラブ人、インド人、中国人が多くて、「ここは、どこの国なのお〜」と心の中で叫ぶ人が少なくない。Falconは、パリに行って、黒人やアラブ人がいないと寂しくなるけれども、日本から初めて行く人はショックかもしれない。
 フランスだけにかぎらない。福祉国家の北ヨーロッパは、移民の受け入れは限界になってきている。無論、フランスもイタリアも限界突破している。
 ということで、『海と大陸』はわれわれに深刻な問題を告発している。「人間として困っている人をどこまで救えるか」という、普遍的な問題である。人道的には困っている人を救うのが当然だが、人を救えるだけの余裕が無ければ、自分も困ってしまう。
 さらにヨーロッパ諸国がアフリカを植民地化して支配していたという問題が複雑化している。

 そこで、いつも考えるのは、アフリカの飢餓を救うべきなのかという問題である。土地にはそこに住める人の数が決まっていると思う。その数が増えれば、食料が供給できなくなり、飢餓が起きる。飢餓が起きると、ヨーロッパ諸国は食料を支援する。食料が増えれば、人口が増える。そうすると、また食料が供給できなくなり、飢餓が深刻になる。救いのない悪循環が起きる。
 ヨーロッパ諸国やアメリカ、中国がアフリカを支援するのは、人道的な見地からだけとは思えない。地下資源を狙っているのは自明の理である。
 飢餓状態が続けば、紛争も起きるし、難民が流出する。だからと言って、自分たちの国で受け入れるのも限界になっている。
 解決のつかない複雑な問題だ。

 食料を供給して飢餓を救うのではなく、生活スタイルを提案して、そこの土地で住めるようにすべきだ。
 お金や食料を恵むのは、慎むべきことである。

 『海と大陸』は、さりげないストーリーに深く考えさせる問題を潜ませている。

 暗闇の中を泳いで近づいてくる黒人たちの姿が心に焼き付いて、忘れることができない!
 

Posted by falcon at 21:54:22 | from category: Main | TrackBacks
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