March 03, 2012

「風船爆弾」のような学校司書配置

 予算案が通れば、地方交付金措置で、いわゆる「学校司書」が配置されることになる。

 一部の学校関係者にとっては念願だった「学校司書」配置だが、喜ぶべきものなのか、極めて疑問な点が多い。
 司書教諭が12学級以上の学校に配置になってから、早くも10年目。司書教諭の配置とは言えども、事実上、校務分掌の一つであり、生徒指導部の係などと同等で、授業の軽減措置は叫ばれてはいたけれども、軽減措置を受けて司書教諭の職務に携われる教員は、話題にもならない、注目もされないほど、少なく、強い権限も与えてもらえない。司書教諭は有名無実と言い放っても、過言ではない。

 一方、「学校司書」は、いまだに法制化されていないのに、その雇用の不安定さと職務を果たす素晴らしさで、清貧の衣を身にまとい、ひたすら重宝されている。「学校司書」は学校図書館法には無い職種である。法律に記されているといえば、文字活字文化振興法の中に「学校図書館の事務職員」とあるだけだ。かといって、法律で配置が義務付けられているのではなく、吾輩は猫であるがごとく、まだ名が無い。無名有実である。

 有能な学校司書が配置されることは、ある意味、喜ばしい。現状では、今度の措置が糠喜びにならないことを期待したいが、土台がしっかりしておらず、なし崩しではないかと思う。

 そこで、「学校司書」は風船爆弾のようなものだと、たとえを思いついたのだが、一瞬、迷いが生じた。

 Falconの基本路線は、「戦争反対」であり、教育や文化、ましや図書館に戦争を持ちこむことは、「たとえ」でも許したくない。恩師の一人である有名な先生が、講義のとき、図書館職員の立場を軍人の階級に喩えたとき、寒気がしたというか、怒りに震えたというか、複雑な心境になった。昭和末期のころだった。その先生は、公式な場では平和の大切さを訴えているが、育った時代が戦時下だったから仕方ないけれども、心情的には軍国主義教育からは抜けきっていない。まっ、過去の遺物にこだわることは無い。要するに、学校司書を、太平洋戦争末期に打ち上げられた、太平洋横断を可能にした兵器「風船爆弾」に喩えることは、平気でいられなかった。

 たとえを思いついたとき、「風船爆弾」について、断片的にしか知識が無く、ゴム風船に爆弾をくくりつけて、飛ばしては見たものの、太平洋に落ちてしまい、効果が無く、水の泡、いや、海の泡となって、沈んだと思っていた。
 先日、古新聞をかたずけていたら、「風船爆弾」の記事を見つけた。戦争末期の物資の無い時代に、10,000個も作られていて、そのうちの9,300個が打ち上げられたという。実際、「風船」なんて、ちゃちなものではなく、和紙とこんにゃく糊で作られた直径10メートルにもなる気球で、水素が注入されて、ジェット気流に乗って、アメリカ本土へ到達したものが、わかっているだけで361個もあったという。本当に被害もあったらしい。1000個近くが到達したのではないかという憶測もある。
 まったく効果の無い代物と思ったら、それなりの攻撃力があったみたいだ。人の命を無駄にした特攻隊や人間魚雷なんかよりも、はるかにマシなものだった。
 和紙とこんにゃく糊で作った気球に水素をつめて、太平洋を横断するなんて、戦争末期の苦し紛れの作戦にしては、感心した。実に日本的な発想だけれども、見事に大海原を超えて、アメリカに届いただけでも、スゴイ。驚異であり、当時のアメリカにとっては脅威だったに違いない。
 ジェット気流と水素でよくアメリカまで届いたなあと思う。
 水素は物質の中でも最も小さい。原子は陽子1個に電子1個でできている。気体としては2個の水素原子が結び付いた水素分子で存在する。その小さい分子だから、ゴム風船だって時間がたてば、ゴムの穴からどんどん抜けてゆく。それが和紙とこんにゃく糊でできたザルみたいな気球で爆弾を運んだというから、驚くほかない。

 「でさ、何が言いタイノ!さっきから読んでいれば、兵器と平気、驚異と脅威ってさ、ウケ狙って!」

 ええと、何だっけかな?

 「学校司書のことでしょ! なんか、文句ある?」

 ええ、言いたいことも風船爆弾みたいに空の彼方に飛んで行ってしまいました。

 「う〜ん、モッー」

Posted by falcon at 17:01:39 | from category: Main | TrackBacks
Comments

閲覧者:

この話を人伝に聞いて読みに来ました。
なぜこのような流れで故人が小馬鹿にされなければならないのでしょうか。貴方にもポリシーがあって書かれているのでしょうが、心を痛める人の存在もお忘れなく。
(April 30, 2012 12:20:12)

falcon:

 「故人」とは、どなたを意味しているのでしょうか。何か、誤解していませんか。
「風船爆弾」の開発者には、改めて敬意を表します。兵器の開発ですから、必ずしも人道的に許されることではありませんけど、太平洋を横断して敵国アメリカに被害を与えたほどの威力を発揮したことは、まさに驚異です。
 ちなみに、「有名な先生」への尊敬の気持ちに変わりがありませんが、発言そのものが許せないのです。普段は平和の大切さを訴えているのに、司書の立場を軍人の階級に喩えるのは、どんなことがあっても許されることではありません。講義でお話を伺ったとき、耳を疑って、裏切られた気持ちになりました。と、同時に、昭和末期に図書館職員を軍人に喩えても、誰も理解できないでしょうに、と虚しい気持ちになりました。
 とは言うものの、Falconは子どものころ、「のらくろ」を面白がって読んでいたので、軍人の階級は多少理解できました。
 直接、その先生へ抗議したことがあります。小馬鹿にしているわけではありません。
(May 02, 2012 21:05:46)

閲覧者:

確かに、反戦平和の視点から批判されてもおかしくないでしょう。ですが、一個人の人格を形成してきた道程までも推測して、軍国主義教育から抜け切っていないだとか、過去の遺物だと断じているのは、不快感を覚えます。
攻撃する側からは他者の痛みを認識し難いでしょうか。もし、あなたの没後に「あの人は平和を唱えてきたのに、暴力団の矜恃や誇りを語って耳を疑った。幼年期の○○教育から抜け切っていない。過去の遺物だ」と書かれていたら、親兄弟や同僚教え子はきっと悲しむはずです。
(May 04, 2012 15:08:25)

falcon:

 なんだか収拾のつかない言い合いになっているみたいです。
 「暴力団の矜持、誇り」を語ったことはありましたかね。図書館の利用者として、社会に不適応な人であっても、受け入れる必要があると思うと書いただけで、暴力団を認めたつもりはありません。
 亡くなった父は、戦前の教育を受けていましたから、朝鮮人や中国人に対する好ましくない発言をしていたので、たびたび注意していました。
 Falconが育った地域には在日朝鮮人・韓国人の家族がいましたので、親友にもいました。だから、父や母の心ない発言で傷ついたことがあります。
 「過去の遺物」としたのは、先生の発言ではなく、「軍国主義的な考え」です。

 父が危篤のとき、電車に乗っていたら、揺れたはずみでハイヒールを履いていた女性に左足の甲を踏まれました。踏んだ女性は体格の良い人でしたから、その痛みは尋常なものではありませんでした。もう少しで苦情を言おうと思いましたが、父のことが気がかりで堪えてしまいました。幸い、5日ほど痛んだだけで、治りました。踏んだ人には、この痛みはわからないでしょう。

 傷ついていたのは、私なんですけどね。

 父の死に直面して気がつきました。
 死んだあとは、親兄弟、親類、縁者が悲しもうと、私にはどうしようもありません。

 こうしてコメントを繰り返していると、映画『図書館戦争』の前宣みたいですね。ドラマ『悪女について』の放映前に、船越さんが家出したことをブログに書き込んだ松居一代さんみたいになってきました。
 
(May 06, 2012 18:33:52)
:

:

Trackbacks