March 02, 2010

紙かデジタルか、マンガか読み聞かせか

 アメリカ合州国では、紙ベースの図書を廃棄してデジタル資料を中心の図書室にした学校が話題になっている。

 この問題は、紙のマンガか、音声の読み聞かせか、の優劣、もう少し正確にいえば、読者・聞き手にどのくらい有効に情報が伝わるかの違いを比べるのに等しい。

 歌舞伎の戯作を読むか、劇場で観劇するかの違い、聖書を読むか、ミュージカル『ジーザス・クライスト・スーパースター』を観るかの違いと、紙かデジタルかの違いは小さい。視覚と文字認識能力を主として使うか、聴覚も映像認識能力も必要とするのかを比較すれば、紙とデジタルの違いは大げさに騒ぐ問題じゃないと思う。

 それでも違いを見つけるとしたら、紙の感触があるかどうかだ。

 読み聞かせで紙の感触を引き離すことを考えれば、デジタル情報を読むことは慌てるほどではない。

Posted by falcon at 01:07:17 | from category: Main | TrackBacks
Comments

通りすがり:

ブログテーマと関係ありませんが、以前賛否のあった『図書館戦争』の世界が東京都で現実味を帯びてきたみたいです。はたして図書館はどのように対応するのでしょうか。
http://www.itmedia.co.jp/ne...
(March 15, 2010 18:59:51)

falcon:

コメントありがとうございます。

3月19日の時点で、継続審議になりましたね。

もし、これが施行されたら、三島由紀夫の『仮面の告白』なんかも18歳未満は書店で購入できなくなりますね。

以前、東京都で有害図書とされた『完全自殺マニュアル』は、今でも書店で売られていて、厳格に販売が規制されていた様子はありません。

むしろ、Falconは出版社の編集者と著者が協力して丹精込めた著作が出版される文化を育成する必要があると思います。出版物は、著者だけが作っているわけではありません。実際、編集者や装丁者など多くの人が総力挙げて関わっています。しかしながら、編集者が作業を抜いている出版物が目につきますね。

図書館は資料である以上、利用者に提供します。

図書館も利用者も完成度の高い作品を求めていることは変わりません
(March 19, 2010 18:56:51)

通りすがり:

自分の予想ですが、石原都知事の芥川賞受賞作品『太陽の季節』が有害図書に該当しない範囲での規制に落ち着くのではと考えます。結果として石原都知事の作品のおかげで表現の自由が守られたという政治的茶番劇もあり得ます。
(March 30, 2010 18:09:35)

falcon:

興味深いコメントありがとうございます。
条例改正案は継続審議ですよね。
表現の自由を守る立場から考えれば、この条例改正は無理がありますね。当分の間、見送りになる気がしています。
石原都知事は東京都の図書館行政を破壊したといっても良い人です。この問題と自分の作品を結び付ける発言があったとしても、苦笑いでごまかすでしょう。

反社会的な行動(殺人、暴力、薬物乱用などの行為)を誘発するような表現でなければ、許容されるべきだと考えます。
性的な表現を極端に規制する動きがありますが、読みたい人が読む、観たい人が観ることができれば良いですね。不正請求、売春などの犯罪につながらないようにすることが大切です。それから、美意識の問題です。醜い表現は害悪に等しい。
もし、あの条例が本当に改正されたら、『問はず語り』『好色一代男』も規制の対象になってしまいます。江戸の古典文学の大半が18歳未満は読めなくなります。
尤も、大学の文学部の学生でも古典文学を読める学生は僅少です。高等学校の国語で、きちんと古典文法を学んでいない学生が日本文学科に大勢います。嘆かわしい。
論点がどんどんズレていますが、作品や表現を規制するよりも、表現を理解できる能力を高める学習を行うべきだと思います。「檄を入れる」なんて間違った表現を鵜呑みにするレベルでは困ります。
(April 01, 2010 11:56:04)
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