June 08, 2009

国語の授業と学校図書館での読書は違うのか!?

 高田氏の著作に関する書き込みの続きに書きたかったのですが、このことは別に書きます。

 仕事柄、学校図書館の活動に関心のある人と話す機会が多いのですが、「学校図書館でおこなう読書は、国語の授業と違う」という主張をする人が多いのに気がつきます。
 その人たちの主張は「国語の授業はツライお勉強で、作品を楽しく味わうことができない。気持を楽にして、読書をした方が良いのよ。つまり、自由読書よね」ということでしょう。
 町の公共図書館では、自由に読むのが大切ですけど、学校図書館の読書は国語の授業と結びつけて行うのが、当然と言えば当然だと思います。
 学校司書(学校図書館に関わる職員)の方々を敵に回すつもりは毛頭ありませんが、自分たちが教育に直接関われないために、学校の授業と切り離して、学校図書館の活動をおこなう傾向があります。つまり、「『お勉強』は子どもたちに辛い思いをさせている、だからこそ、学校図書館で伸び伸びと読書に親しませたい」という考えが底流にあります。
 学校司書さんたちだけでなく、一部の司書教諭、そして学校図書館の専門家と称している人たちの中にも、学校図書館は「心のオアシス」と、学校の授業から離れた別天地のように形容する人がいます。
 本当は学校の授業は子どもたちにとって楽しくて仕方がないくらい興味深いものであってほしいのですが、残念なことに「辛くてたまらないお勉強」なんですね。そのために学校図書館の関係者は「お勉強」の印象を拭い捨てようとして、「国語の授業と関係ない」ように仕向けています。
 正当な考え方をすれば、学校図書館と各教科の授業は結びつかなければなりませんし、その一つに国語の授業があって、当然です。

 学校図書館は関係者の奇妙な思惑でぐらぐらと揺らいでいます。

 学校図書館で学校の授業と関係ないことをするから、学校の中での重要性を失い、孤立化してしまします。司書教諭の必要性も、ここから薄れていきます。

Posted by falcon at 01:08:12 | from category: Main | TrackBacks
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