November 16, 2008

読書、読書とやかましく言わなくても

 平成22年を国民読書年にするらしい。すでに国会の決議で決まった。

 毎日新聞の調査によれば、図書と雑誌を含めた読書をしている人の割合は2000年頃がピークで、最近は約70パーセントに「落ち込んで」いるけど、実は1970年代ごろとそれほど変わらない。
 新聞社の行っている調査を疑うわけではないけれど、国民全体に行っている調査でないので、一部の人たちはという「切り口」で考えておく必要がある。
 実は冷静にみると、深刻なほど「読書離れ」は起きていないのではないかと思う。いつの世にも、本を読みたがらない人の割合は変わらず、愛書家はそれ相当数いるのが実態ではないかと思う。

 日本は世界的に見ても識字率の高い国で、病気などの原因がない人であれば、ほとんどの国民が文字を読める。普段は読書をしない人でも、いざとなれば必要な時に新聞や雑誌を読んでいる。それで十分なのではないか。競馬に夢中になっているおっちゃんでも、ちゃんと競馬専門紙、スポーツ新聞を片手に予想している。それだって立派な読解力だと思う。

 昔の子どもは本をたくさん読んだというけれど、Falconが子どものころから、「最近の子どもはテレビばっかり見て本を読まない」「漫画ばっかり読んで本を読まない」とずーっと言われ続けた。これはイギリスなど欧米諸国でもテレビが普及した1960年代から同様の言説が流布しているらしい。
 パソコン、インターネット、ケータイ電話が普及すれば、「パソコンばっかり、インターネットばっかり、ケータイばっかりで、読書しない」と言われる。
 結局、読書の敵を見つけては、それをバッシングしているだけで、「読書をしろ!」と呼びかける。

 たしかに中学生、高校生は読書をしなくなったかもしれない。正確にいえば、読書をしたくても、時間的な余裕がない。
 部活、学習塾、予備校、習い事など、特に中学生は余裕がない。
 中学校の先生も時間割と朝練、放課後の部活で圧迫されているため、時間がないと嘆いている。
 あれだけ勉強をする時間を与えられているのに、1980年代から比べると学力は落ち込んでいる。勉強する時間に自由さがない。
 もう部活で拘束しなくとも、校内暴力に走らないし、非行化することもないと思う。
 もっと遊んだり、勉強したり、読書をしたりを選べる選択の余裕を中学生と高校生に与えたほうがいい。

 なにしろ大学生になっても、自分がしたいこともなく、自分で時間割を決定できず、楽に成績を与えてくれて、面白い先生の講義の噂に流されて、浮ついた4年間を過ごす輩が多すぎる。自分の生き方を決定できないほど、気力もない学生を見ていると、彼らが過ごした6年間の中等教育は何だったのか、溜息とともに、考えるのも嫌になり、遠ざけたくなる。

 好きな時に本を読めれば、それでいい。
 必要な時に本を読めれば、それでいい。

 健康でいたいからと言って、オリンピック選手のように鍛えなくても、普通に生活できれば、一般人は十分なのだから。

Posted by falcon at 03:58:25 | from category: Main | TrackBacks
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