March 21, 2008

佃島春景

 先日、都内の某所に用事があったので出かけて、帰りに夕方、佃島まで歩いた。隅田川の川面は、ミカン色に輝いていた。
 佃島は、亡くなった母方の祖父が「床屋」を営業していた。正確に言うと祖父が住んでいたのは佃2丁目で、昔からの「佃島」は住吉神社のある佃1丁目である。
 幼い頃、母に連れられて、佃島に行った記憶がある。
 今は再開発されて、かつての石川島、佃2丁目・佃3丁目は高層マンションが屹立して、昔の面影は全く無い。とても東京とは思えない。まるで外国である。母が通った佃小学校・佃中学校もすっかり近代化されていた。このあたりのマンションには、作家の石田衣良さんが住んでいる。ここを舞台にした小説『4TEEN』がある。最初のエピソードに「月島図書館」が登場する。
 石川島は、松平定信の「寛政の改革」の時代、人足寄せ場が置かれたことで有名だ。その人足寄せ場の監督をしていたのが、『鬼平犯科帳』でお馴染みの長谷川平蔵だったというのは、先日、NHK総合『そのとき歴史が動いた』で知った。鬼の平蔵どころか、仏の平蔵で、清廉潔白で、失業者対策に乗り出した、現在でもいて欲しい役人の鑑だ。
 小学校の脇道を通り抜けて、佃1丁目へ向かった。夕闇が迫る中、何だかハラハラした。幼い頃の記憶のとおりに留められているのか、急に心配になった。勿論、テレビで佃1丁目が映し出されて、昔の面影を留めているというのは知っているのだが、実際に行ってみたら違っていたのではガッカリだ。
 佃1丁目は、昔のままだった。と言っても、立て替えている家は多かった。佃島は、関東大震災でも、東京大空襲でも延焼しなかったので、古い家並みが残った。ペルー沖の大地震の津波の影響が少なかったとも言われている。昭和50年代までは、佃島、月島周辺は、大正から昭和初期に築造された家が多く、東京らしい路地が残っていた。
 佃島は、徳川家康が江戸へやってきたときに、摂津から漁民たちを連れてきて住まわせた。江戸前の海で取れた雑魚を醤油で煮しめたのが佃煮だ。佃一丁目にある住吉神社は、大阪の住吉大社の御霊を勧請した。住吉神社の鳥居の扁額は陶器でできていて、有栖川宮幟仁親王の揮毫だった。
 佃島で佃煮を買い求め、月島まで歩いて、地下鉄に乗って帰った。もんじゃ焼きを食べて帰ればよかったと、思い返している。

Posted by falcon at 20:29:42 | from category: Main | TrackBacks
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