November 22, 2007

大学の専任教員も辛いよ

「高学歴ワーキングプア」を読んで、残念に感じた。
読み始めは、納得できる点があった。しかし、大学の専任教員は高い年収を得ていながら、週3日だけ働き、研究費は使いたい放題と書かれるに及び、いささか心外に感じた。また、若い研究者がせっかく苦労して博士号を取得したのに、博士号のない大学教員に評価されて、不採用になるのは理不尽と述べているのも、同感できない。著者の水月氏が述べているように、平成3年以降、院生の粗製濫造になった。博士号を取得したくとも、できなかった時代に大学教員になった人と、努力すれば博士号を取得できる人を比べて、訴えられても、現役の大学教員としては承服できない。粗製濫造された博士号でも、高く評価するべきなのか。
指導教員が亡くなって博士号取得を諦めた人のエピソードがあるが、指導教員以外の教員が評価できる内容でなければ、価値ある論文と言えない。指導教員のみが評価して、博士号が取得できるなら、不正に馴れ合いで取得できた場合もあると勘ぐりたくなる。Falconは修士号を取得したけれども、論文は主査1名と副査2名の先生が審査してくれた。指導教員1人だけしか審査できないなんて信じられない。
第二弾として、公明正大な姿勢で執筆してほしい。次回作に期待します。



Posted by falcon at 16:21:16 | from category: Main | TrackBacks
Comments

一学生:

 いつも拝見させていただいております。
 早速、『高学歴ワーキングプア』を読みました。FALCON先生のおっしゃる「指導教員が亡くなって博士号取得を諦めた人のエピソードがあるが、指導教員以外の教員が評価できる内容でなければ、価値ある論文と言えない」は、もっともだと思います。

 しかし、水月氏は「評価」(あるいは「審査」)なる言葉は用いていません。
「・・・最先端で活躍する教授でなければ、細分化された学問の領域の先端で書かれる博士論文への的確なアドヴァイスや批判を行なうことが難しいということだ。」(P.83)
「いきなり領域の違う論文を指導することなぞ、いかに近接領域の教授でも無理がある。」(同上)

 先生のご批判にある「評価」・「審査」と、氏の文章にある「アドヴァイス」・「批判」・「指導」との間には、齟齬があるのではないでしょうか。
付け加えて言えば、件の「松田さん」は理系の学問をなさっていた方なのではないでしょうか(文章からは判然とはしませんが)。そうであるとするならば、「いきなり領域の違う論文を指導することなぞ、いかに近接領域の教授でも無理がある」といったこともそれほど違和感がないように思うのですが、いかがでしょうか。
お目汚しをして、申し訳ありません。
(November 23, 2007 06:15:18)
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