November 04, 2007

漱石、ダヌンツィオ、ヴィスコンティ、源氏物語

 あああ、もう、漱石先生が憑依しているようです。寝ても、覚めても、あの瞳に見つめられているのです。

 高校生の頃、イタリアの映画監督ヴィスコンティの遺作『イノセント』を観てしまいました。19世紀イタリアの貴族社会の男女の愛憎劇です。『流されて』に主演したジャンカルロ・ジャンニーニ(映画『ハンニバル』でレクター博士に惨殺される、渋いフィレンツェの刑事を演じていたけど、覚えているかな?)と『青い体験』シリーズでお馴染みのラウラ・アントネッリが繰り広げる愛の相克。かなりエロティックな場面もありますが、文学的です。極上の真紅のワインを浴びるように飲むような豪華なシーンと、嫉妬と猜疑に苛まれる男女の愛。本当に生意気な高校生でした。ちょうど、国語の選択授業で『源氏物語』の若菜巻を読んでいたときですから、映画と源氏物語がシンクロして、面白かった。しばらく経って、『イノセント』の原作(ヘラルド出版から刊行されていた。ノベライズ版でなく、原作の翻訳です。絶版です。残念!)を読んで、結末が映画と異なっていることに気づきました。それは、映画を観てください。ビデオ、DVDで見られます。『源氏物語』の光源氏の対応と、比較しても興味深い。

 漱石の『それから』から『こころ』に至る作品群には、略奪愛、裏切り、不倫(?)、子どもの死、嫉妬、猜疑、自殺と、これだけキーワードを挙げただけでも、今のケータイ小説が顔色失う内容が描かれています。新聞連載小説である漱石の作品をケータイ小説と呼ぶだけの理由がここにあります。
 『こころ』を今の高校生が読めば、三角関係のもつれ、裏切り、略奪愛、自殺と思うでしょう。でも、明治時代は今とまったく異なる倫理観なんです。この時代、既婚女性の不貞は罪になりました。姦通罪です。その一方で、公娼制度があり、お妾さんも認められていた時代です。平民になったといえ、華族をはじめ、身分制度は江戸時代の残滓のように残っていた。いざ結婚となると、自由恋愛でというわけにいかない。家柄、身分が問題になる。『こころ』は今日的な意味での単なる男女のドロドロの関係の果てではなく、漱石が当時の社会に投げかけた問題作なのです。官費で英国に留学して、東京帝国大学の先生を務めた漱石が、ギリギリの思いで書き上げた作品なんです。

 Falconはずっと前から気になっていたのですが、漱石の作品にはダヌンツィオの名前が2回登場します。『それから』『彼岸過迄』です。『それから』については、かなり前からダヌンツィオの『死の勝利』(翻訳は岩波文庫)との関係が比較文学で取り上げられています。
 漱石は『イノセント』の原作を読んでいたのか?気になるところです。もし読んでいたとしたら、日本文学史上最高(?)とも言える男の嫉妬の着想に影響を与えたかもしれないと思っています。

Posted by falcon at 23:36:18 | from category: Main | TrackBacks
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