November 04, 2007

漱石はケータイ小説のハシリ

 Falconは鹿児島県出水市へ行ってきました。
 北からの冬の使者、ツルの飛来地へ行きました。ナベヅルがほとんどでしたが、マナヅルがちらほら。それでも全体で約5000羽もいました。
 ツルは卵を2つ産み、メスとオスが交互に温めて、育てるので、3羽か4羽で行動していたら、それが家族だそうです。1羽で行動するツルも、2羽で行動するツルもいます。ツルにはツルなりに、いろいろな事情があるんです。深く詮索するのは、止めましょう。人間も同じ。
 鶴の詳しい生態はよくわかっていないようです。興味深いですね。

 さて、鹿児島から帰ってきて、両国の江戸・東京博物館で開催されている漱石展に行ってきました。
 いろいろ考えることがありました。マイナーな展示品でしたが、夏目金之助氏の東京帝国大学附属図書館の入館証が展示されています。これは見所です。
 ところで、夏目漱石は『虞美人草』以降、ほとんどの作品を朝日新聞に連載しました。新聞は、明治時代になってから普及したメディアです。つまり、当時の最先端のメディアでした。『虞美人草』はとてもよく読まれたらしく、関連グッズが売れたとか。また、読者からの反応が直接、作者である漱石に届けられたそうです。今では新聞連載小説は珍しくありませんが、当時の読者を惹きつけるものでした。ということは、漱石の新聞連載小説は、今のケータイ小説の元祖といえます。連載後は、単行本になりますが、我慢できなかった新聞社の職員が勝手に社内版を作ったそうです。それこそ、著作者人格権の公表権を侵害したことになりますけど(著作者人格権は、公表権、氏名表示権、同一性保持権です。著作者を尊敬するとか、敬意を表すとかは、著作者人格権にはまったく関係ありません。特に学校図書館関係者に著しい誤解をしている人が多いので、十分に注意してください。)

 また、漱石は手紙を書くのが好きでした。葉書もたくさん書いている。しかも、葉書には絵を書き添える。中には、女性の裸体画もあります。つまり、これは今で言えば、電子メールであり、絵を書き添える発想は写メールです。明治時代は郵便制度が確立した時代です。漱石は英国へ留学したときも、妻の鏡子さんとしっかり手紙と葉書で連絡を取っています。これは、江戸時代にはまったく考えられなかったことです。郵便制度は、まさにインターネットといえます。

 漱石は講演に招かれることが多く、けっこう冗談を言ったり、人間味あふれる本音を吐いたり、聴衆を惹きつけたそうです。これは、ブログと言ってもいいでしょう。あるいはオフ会ともいえます。なにしろ、生身の漱石が書き上げた原稿に基づいて語るのですから。

 ということで、漱石は最先端のメディアと仕組みを活用した作家でした。知れば知るほど興味深い作家です。

Posted by falcon at 02:03:50 | from category: Main | TrackBacks
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