November 26, 2011
大学教員は本当にツライ!
読み終えました。
大学教員は本当に雑用が多く、「何で、こんなことしなければならないのお〜!」と叫びたくなります。
入試作業は、一応、事務職員たちが「先生、先生」と立ててくれますが、実質、同列扱いです。むしろ、先生のほうが飼いならされているサーカスの動物のようなものです。
委員会が多く、会議の合間に授業をしている先生もいます。それが意義のある会議なら良いのですが、大半が事前に議題と議案が決まっていて承認するだけです。残りは報告で、こっちが長いときもあります。
専任の大学教員なら、涙なしには読めない、いや、流れるはずの涙さえ枯れ果てたとしか言えません。
私の知っている人で、定年後、暇つぶし程度に優雅に非常勤の大学教員をしている人がいますが、「これでも結構、大変なのよ、ホホホ」と微笑む人がいます。そんな人を目の前にすると、目が引きつり、殺意を感じます。「専任教員の辛さを知っているのかよ!」
著者の櫻田先生は国際政治学の先生なので、ひたすら、やたら、外国語、それも特に英語ができないと、大学教員に向かない、極言すれば、大学教員は絶対に無理!とまで書いているのですが、それはあくまでも櫻田先生と英語科目を担当する先生の専門分野に限ったことで、分野によっては英語ができなくても大学教員になれます。Falconは自慢ではないですが、英語は嫌いです。文法は簡単ですが、単語が多いし、発音と綴りが一致しない。
しかしながら、英語など外国語がある程度できると、大学教員として一目おかれることは事実です。でも、それを鼻にかけると、嫌われます。「まあ、そこそこできます」程度で普通にしているのが、好感度アップにつながります。
海外の大学で学んだことは、今から20年前だったなら、貴重な経験として評価されましたが、今は値崩れしています。海外の大学でもレベルがさまざまですし、これだけアメリカ、ヨーロッパの価値が低下しているのに、いまだに拝米主義者を気取っているのは、心の底を見透かされるでしょう。
日本でも最近、化けの皮が剥がれてきましたが、海外の大学院といっても、職業人を専門家にするコースと研究者を養成するコースがあり、「大学院」の凄味が薄れてきています。このブログでも書きましたが、アメリカ合衆国ではダンス教室の先生も、料理教室の先生も大学院を出ています。日本でも大学院生が倍増してからは、研究者養成の意味は薄れました。つまり、平成2年度以降の大学院入学者で、大学教員になって、研究者をめざすのは、叶わぬ夢を追うようなものです。
Falconが大学院に行ったのは、「図書館のお兄さん」になりたかっただけで、大学教員になるつもりは、全く無かったかというと嘘になりますが、ほとんどありませんでした。パーセンテージで言えば、5パーセントです。ただ、Falconは運よく昭和の終わりごろに大学院に入学したので、まだ大学院が黄金の輝きを失っていなかった頃でした。分野によっては、断っても、大学教員になれる可能性があったころです。
いまでも、何が何でも大学教員になりたいと猛り狂っている人を見ると、Falconは気味が悪くなって、避けます。好きでなる職業ではありませんよと、忠告したいですね。
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