April 29, 2008

狐になった奥様

 これは大人の童話。
 まだ、読み始めたばかり。Falconの読書は並行して何冊も読んでいる。
 実は、この作品の著者ディヴィッド・ガーネットの先祖は、図書館に縁が深い。
 曽祖父と祖父、どちらもリチャード・ガーネットだが、大英博物館の刊本部の職員だった。
 18世紀のイギリスは、フランスと北米をはじめインドで植民地戦争(第二次百年戦争ともいわれた)をしていた上、ヨーロッパ各国とも戦争していたため、国立の博物館と図書館を建設したいと思っていたが資金がなく、国王の侍医であったスローン博士の珍品・博物と書籍を購入しようと、富くじを発行して、資金を集めて、やっとこさ、1753年に大英博物館を開設した。一般への公開は1759年だったけれど、博物館内に図書館を併設した。
 さーて、時は19世紀、イギリスはヴィクトリア女王の下、大英帝国、繁栄の時代、大英博物館の図書館は市民に公開されて、多くの学者や著名人が利用した。大英博物館の中庭に、円形閲覧室を作ろうと発案したのが、イタリアから亡命してやってきたアントニオ・パニッツィ。猪首の恰幅の良いイタリア人、精力的に仕事をこなすが、館員たちとは口論、利用者の苦情に反論、始終、喧嘩が絶えない、おかげで付いたあだ名が「イタリアの噴火山」。そのくせ、部下の面倒見は良い。毀誉褒貶は絶えないが、結構、男気のある快男児。その部下だったのが、ディヴィッド・ガーネットの曽祖父と祖父。
 祖父のリチャード・ガーネットは、「歩くカタログ」と言われた博覧強記の、伝説の図書館職員で、ロンドンに亡命したカール・マルクスが円形閲覧室で『資本論』などの著作を執筆するのを陰で支えたとも言われている。さらにリチャードは、その年の英国ダービーの着順と騎手の名前まで記憶していたというから、この男、なかなか隅に置けない。
(今年のG1レース、リチャードさん、どうなるでしょう?天皇賞・春、オークス、ダービー......競馬はJRA、図書館はJLA、日本図書館協会)←チョッと、脱線しすぎよ!!また、クレームが付くわよ。
 てなわけで、図書館史を紐解くと、そん所そこらの小説よりも奇想天外な人物伝が出てくる。

 大英博物館の刊本部は1970年代に法律で博物館と組織が分かれて、1997年にロンドンの北の地区に国鉄の駅に隣接して英国図書館新館がOPENした。ちょうど前年の1996年にフランスでは、パリのセーヌ河畔に国立図書館新館がOPENした。やがて英仏両国を結ぶ鉄道ユーロ・スターの路線が延びて、発着する駅を図書館に近い駅にする計画もあるらしい。「国境の長いトンネルを抜けると、そこは図書館だった」なんてことも夢ではない。英仏両国の図書館は、今、熱く、サービス合戦を繰り広げている。まさに「図書館の百年戦争」は始まって十年が経った。こんな「図書館戦争」なら、ジャンジャンやって、ホッ、シーーー!

Posted by falcon at 02:58:23 | from category: Main | TrackBacks
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