December 02, 2012

東大の「学校図書館職員問題」の集会

 学校図書館の職員って、前門の虎、後門の狼のような状況だなあと思った。学校司書にしても、司書教諭にしても。

 12月1日、東京大学で学校図書館職員問題の集会が開かれた。

 塩見昇氏と根本彰氏の講演、質疑応答だったが、

 塩見昇氏の話のほとんどが戦前の学校図書館についてで、肝心要の太平洋戦争後の学校図書館法成立、その後、展開された職員問題における論点整理が十分でなく、「教師は授業をするのが本分であり、司書教諭の資格を取っても、学校図書館の仕事をしたがらない。その心情は当然であり、それならば、司書資格を取得した学校司書を学校図書館に配置すべき」という、もう何度も聞き厭きた、いささか食傷気味の学校司書擁護論に帰着。

 本来の論点整理が目的ならば、「東京都の専任司書教諭が失敗した」(塩見氏の発言)という司書教諭の「罪」ばかりを強調するのではなく、学校司書が法的裏付けもなく、一部の学校司書が非正規であることを良いことに、気ままに仕事をしてきたことも取り上げて、学校司書にも功罪相半ばする問題があったことを明確にして、有償ボランティアや派遣で配置される学校司書など多様な雇用環境も指摘する必要があった。塩見氏は「東京都の専任司書教諭制度が失敗した」と発言したけれども、先進的な事例でありながら、都の財政危機などで継続できなかったと考えるのが正しい見方であろう。研究者は「安易な肩入れ」をしてはならない。
 また、塩見氏は大正時代に成城小学校で児童図書室を開設して、学校図書館活動の先進的事例となり、「成城小学校は現在の成城です」という不正確な説明をした。実は、Falconも成城小学校と現在の成城大学との関係が気になっていた。大正時代に澤柳政太郎が当時の牛込区原町、現在の早稲田に近いところに、成城小学校を設立して、成城学園が今の世田谷区成城に移ったのは大正末期である。

 根本氏のフランスの学校図書館の解説は事実誤認と説明不足が多く、学校図書館職員を制度化するのに十分な論拠になっていなかった。たとえば、「フランスの小学校には学校図書館が無い」というのは間違いで、1984(村上春樹の『1Q84』と関係があるのか?)年の国民教育省の通達circulaire(←×省令)で幼稚園(保育学校)と小学校には学校図書館(BCD)を設置することになった。しかしながら義務設置ではないので、十分に機能していない学校もある。コレージュ(4年制中学校)とリセ(高校)のドキュマンタリスト教員が他の教科の教員と同様に国家試験で教員資格証を取得して採用されることも根本氏は十分に説明していなかったもうひとつ、説明不足として重大な点を指摘しよう。IUFMという教職大学院でのドキュマンタリスト教員の養成課程を説明していなかった。これこそが今回の集会の最重要項目であったと思う。
 尤も、短い時間の解説なので十分に説明できないのも仕方が無いが、短い時間で的確な説明をして、多くの参加者を納得させるのが研究者の役目である。

 ということで、講演者と参加者の発言を聞いて、いずれにせよ、日本の学校図書館は危機的な状況にあることがわかったというわけ。これまで言われ続けてきた理論の構築も無く、血と涙の結晶という経験の自慢話に花が咲き、外国の話に浮かれて、日本はダメでがっくりくることの繰り返しじゃ、いつまでたっても進展しない。
 無い物ねだりは申したくないし、もう、したくない。

06:37:20 | falcon | comments(0) | TrackBacks