April 17, 2011

震災復興、過去、現在、それから

 誰もが読みたい、しかも絶版の本を、気が付いて図書館で借りて読む。これこそが図書館利用者の極意だ。



 もし、東京に大地震が起きたら、どうするか。
 この本が書かれてから14年経っているので、事情が大幅に変わっている。でも、多い参考になる。東京の首都機能が麻痺したとき、物資の輸送に環状8号線をはじめとする環状道路、武蔵野線が重要な役割を果たすことがわかった。東京の空の玄関は羽田空港だが、都心で直下型の地震が起きれば、羽田は壊滅的な被害を受ける。そのとき、重要な役割をするのは米軍の横田基地だ。その横田基地と都心をつなぐのが八高線と青梅線が交差する拝島駅であり、著者は言及していないが立川駅が海外からの物資を運ぶ要地になることだ。
 すこしづつ東京の産業構造が変化している。アジアなどに企業が進出して、東京の技術が流出している。それでも、大田区などには世界の先端技術を支える中小工場が息づいている。もし、こうした工場が被災したら、世界経済に大変な打撃を受ける。
 この本の重要なテーマは、震災後の中小企業の復興と、自力で人々が生活を立て直すことである。復興に向けて、国が、政府が、地方自治体(地方公共団体)が何をするかである。何もかにも手を差し出して救うのではなく、人々が自分の手で生活を取り戻すかが重要なテーマになっている。
 そのために、東京の産業構造をさまざまな統計資料から分析している。Falconにとって寒気がするほど恐怖を感じたのは、日本の出版業の70%以上が東京23区に集中していることだ。出版業者数の70%以上が集中しているのであって、東京23区で出版される点数と部数となれば、日本全体の80%を超えるのではないか。印刷所、製本所、取次店、大型書店、倉庫業が東京23区を中心に首都圏に集中しているから、首都圏が被災すれば、日本の出版業は全滅に等しい。電子出版があるから大丈夫でしょ!と甘く考える状況ではない。

 最後の第8章は、関東大震災後、信用組合がどのように機能したか、大正と昭和の恐慌のとき、金融業がどのように変化したかを追跡している。

 震災復興、簡単にできることではない。

 今、一番気になっていることだが、政府や国に求めすぎていないか。この本を読んで、地元の自治体が中心になって復興対策を立てなければならないように感じる。市町村レベルでは無理だ。県知事がもっと積極的に活動するべきではないか。はっきり言えば、菅総理は被災地へ行くパフォーマンスをする必要はない。それより県知事が隈なく被災地をめぐって、被災者の陳情を集約して、対策を立てて、国へ向けて発信すればよい。国が求められて行うことと、現地の被災者の思いが行き違っている。

21:21:36 | falcon | comments(0) | TrackBacks

観能日記:ユヤ、宗盛、ドゥヌーヴ

 4月15日(金)、午前中、筋トレして、夕方、矢来能楽堂へ行った。
 のうのう講座特別講演で、『熊野』を鑑賞した。
 観世善正氏のユーモラスな解説と、『熊野』のクセの謡を地謡方の解説とともに全員で実習して、さらにツレの朝顔を演ずる観世善正氏の着付けの様子も見ることができて、『熊野』を鑑賞するという、能を鑑賞する初心者向けの、贅沢な講座だった。
 能『熊野』は「熊野松風に米の飯」というくらい、米の飯のように何回味わっても飽きない、能の中では定番中の定番の演目で、興味深かった。今回、『熊野』の謡曲を全文コピーしたものを持参したので、シテやツレの科白、地謡の内容も良く理解できた。

 ところで演目の『熊野』を何て読むか、わかりますか?

 「クマノ」ではなく、「ユヤ」と読みます。
 平宗盛(清盛の二男か?)が、病を得て命短い母のことを案じて故郷に帰ろうとする女芸人(遊女?)の熊野を引きとめて、京の都に咲き誇る桜の花見へと連れ出すストーリー。
 夢幻能ではないので、旅の僧は出てこない。間狂言もない。現在能って言うのだそうだ。
 母からの手紙を携えたツレの朝顔が登場するところから、話が展開してゆく。地主権現の桜や平家物語の一節が歌いこまれて、母を案ずる熊野の気持ちと、引きとめて花見へと誘う宗盛の思いが交錯する。熊野の願いは最後には宗盛に聞き届けられる。春爛漫の京都・清水寺を舞台に演じられる。簡素な能舞台が村雨に散り乱れる桜の花びらに満たされる瞬間、陶然とする境地へと誘う。

 でね、三島由紀夫の『近代能楽集』にも『熊野』が取り上げられていて、こちらは会社の重役らしい宗盛と、うら若き美貌のユヤ、yユヤの友人の朝子とのやり取りが描かれる。現代に設定を変えて、三島流の解釈がなされる。興味深い。

 さて、実は先日、下高井戸シネマでフランス映画『クリスマス・ストーリー』を観に行った。こちらはベルギーとの国境に近いフランスのルーべという町に暮らす老夫婦のもとに、姉弟たちが集まり、クリスマスのひと時を過ごす話。老夫婦の妻をカトリーヌ・ドゥヌーヴが演じている。老夫婦の妻というのも憚られるくらいドゥヌーヴは、大輪の花のように美しい。この一家のメンバーは、それぞれ複雑な思いを抱えている。幼い頃、長男を亡くし、哀惜の念を引き摺る夫婦、姉と二男の反目、気立てのいい末弟の夫婦の間にあるわだかまり、姉の息子と二男、つまり甥と叔父との間に芽生える思い(変な関係ではない!)と、幾重にも思いが交錯する。物語の中心は、ドゥヌーヴ演じる母親が白血病を発病して、適合する骨髄を家族の誰が提供するかである。『熊野』の話と関係するでしょ。
 物語の核心とは何の関係もないが、クリスマスに家の庭で、花火に興ずる場面が出てくる。日本では花火とくれば夏なんだけれども、ヨーロッパでは花火をクリスマス、年末年始に上げることが多い。つまり、ヨーロッパで花火は冬の風物詩っていうわけだ。

 でね、土曜日は非常勤先の大学の帰りに、杉並区の温泉施設へ行った。東京はビートたけしさんの健康エンターテイメント番組で紹介されたように、知られざる温泉天国で、都会のど真ん中に温泉施設がある。
 桜の花びらがちらちらと舞い落ちてきて、花模様の露天風呂に浸かって、夢心地になった。まさに花見のユヤ(湯屋)のひと時だった。話がまとまったようで、また今度。

02:41:53 | falcon | comments(0) | TrackBacks