May 20, 2008

エル・グレコの聖衣剥奪

 十年くらい前に、モロッコからスペインへ行った。モロッコのカサブランカ空港から、カサブランカ市内に入り、ここを起点にマラケシュ、カスバ街道のワルザザート、トドラ渓谷、エルフード、チェビ砂漠、メクネス、フェズ、ラバト、タンジェと放浪したあと、ジブラルタル海峡を渡って、スペインのアルヘシラスへ行った。
 モロッコは、今は良くなっていると思うが、当時は治安が悪く、ひとりで歩きまわるにはかなりの度胸が必要だった。同じマグレブ諸国のチュニジアとは大違いで、始終金を巻き上げられる破目になった。髭を生やしたのは、モロッコでは子ども扱いされてるからだ。いい歳した大人の男が髭を生やしていないと、ゲイと勘違いされる。今、関心を持たれている時期なので、詳しくは書けない(揚げ足を取られそうだ)が、相当ひどい目にあったことは告白しておこう。
 子どもまでもが、金をせがむのは、観光客がハトに餌をまくように気軽に小銭をばらまいてきた過去があること、それがイスラムの喜捨の精神に合致して、もらう立場の者も後ろめたさなく、金にありつけること、カサブランカにあの当時建設されたばかりのモスクを見て、重税を課せられていると推測できること、砂漠や山岳部(国の中央に3000m級の山々が連なるアトラス山脈)に住むベルベル人が貧しい生活を送っていることなどが考えられる。
 まあ結構恐ろしい目にあったが、春を迎えたアトラス山脈の美しさ、自転車で上りつめたトドラ渓谷の雄大さ、砂漠の荒涼とした静けさ、イスラム建築の優美さが心に残っている。時がたてば、楽しかった思い出しか残らない。Falconは自分で言うのもなんだが、楽天家なのかもしれない。

 さて、スペインに着いてからは、誰からも相手にされなかった。つまり、金目当てにつきまとわれることがなかった。淋しいくらいに快適だった。アルヘシラスからは黄金海岸沿いにバスに乗って、ピカソの故郷マラガを通り過ぎて、グラナダへ行った。ちょうど復活祭の聖金曜日で街はお祭り一色、ところが宿が無く、やっとユースホステルに1ベット空くことがわかり、スペインの若者と一晩を過ごした(←誤解すんなよ。部屋をシェアしただけだ!)。翌朝、グラナダのアルハンブラ宮殿と大聖堂を見学して、コルドバへ。コルドバではメスキータ(現地ではメキータと発音している)をみて、コルドバの街をふらふらした。コルドバは中世イスラム王朝時代にギリシア古典がアラビア語へ翻訳されて、さらにヨーロッパ各国から学者も集まり、学術文化都市だった。もちろん図書館がある。おそらく当時では図書館の数ではヨーロッパのほかの都市よりも多かった。
 実はこの旅、紙と文化の伝播をたどるのが目的だった。
 コルドバを後にして、マドリードへ行った。マドリードで3泊ぐらいしただろうか。その時、トレドへ行った。スペインに数日しか滞在しないのなら、必ずトレドへ行けと言われる。そのくらい魅力的な町だ。タホ川が蛇行する丘の高台に築かれた町で、スペインでも古い町のひとつである。中世の面影を残す町並みは夢心地にさせてくれる。
 そんなトレドの町の中心部に、トレドの大聖堂がある。街のあちこちにエル・グレコの作品を展示する教会や美術館があるが、大聖堂にはマニエリスムの画家エル・グレコの代表作、『聖衣剥奪』がある。処刑先へ向かうキリストの着衣を兵士たちが剥がそうとする一瞬の出来事を描いた名作だが、キリストよりも高い位置に群衆の顔を描いたことなどから依頼主の大聖堂からいちゃもんがつき、当時は問題作だった。キリストの赤い着衣が強烈な印象を残す。

 さて、この絵の構図、どこかで見たような気がするのだが……。

16:38:44 | falcon | comments(0) | TrackBacks