March 15, 2008
図書館小説としての『海辺のカフカ』
村上春樹著『海辺のカフカ』を読み終えた。図書館が舞台の小説というのは、思いのほか、存在する。ジャンルとして、「図書館小説」が成立するのではないか、と思う。
『海辺のカフカ』は、図書館を通じて、人が出会い、成長してゆく。成長という前向きな考えでなくとも、主人公の田村少年も、ナカタさんも、ホシノさんも図書館を通じて、人生が変わってゆくことを経験している。
個性的な人物が次から次へと現れる中、主人公の田村少年も興味深かったが、個人的にはホシノ青年が好きだった。
長距離トラックの運転手、運送業者の青年で、上巻の後半、中野区野方を飛び出たナカタさんを拾って、高松まで旅をする。ナカタさんに祖父の面影を思い浮かべながら、「入口の石」を一緒に探し回る。正直言って、ホシノ青年は仕事は真面目だけれど、エリートではない。学校時代は、真面目に勉強してきたわけではない。その青年がナカタさんに出会い、高松までやってきて、高松市立図書館へ行って、「図書館」を利用して、喫茶店でクラシック音楽の詳しいマスターからベートーベンについて学び、甲村図書館でベートーベンの伝記を読み耽る。明らかに図書館で、彼は「知的な教養」を身につけて、生きる自信を見出す。
この小説は、読後、じっくり読み返しながら、味わう必要がある。
学校図書館を舞台にした児童文学『ポータブル・ゴースト』を一気に読んだ。学校図書館に現れるヒリーという少年の幽霊と主人公の女の子が、友人の男の子の家で起きた怪事件を解決する。ヒリーという少年の幽霊が、最初は気味が悪かったけど、イラストでとても素直でかわいらしい少年に描かれている。
ニュージーランドの作家が書いた作品なので、ニュージーランドの学校が舞台なんだろう。「司書」が登場するのだけれども、事務職員としての司書なのだろうか、司書教諭(Teacher Librarian)なのだろうか。原文を見てみないと、判断できない。訳者は、あまり気にせず、訳したのだろうけど、気になる。ニュージーランドは、司書教諭が配置されている。日本と同じく、教科を担任している。
図書館に幽霊が現れるのは、よくある話だが、幽霊とパソコンを結びつけて、展開するのは以外だった。心霊写真があるのだから、パソコンと幽霊という設定も面白い。
10:12:40 |
falcon |
comments(0) |
TrackBacks