February 07, 2008

悪役にも「もっと光りを!」

 Falconは、高校生の頃、源実朝のことを調べていた。小田急線の秦野駅の近くに実朝の首塚があり、東京の中野区上高田には波多野氏が実朝を供養した金剛寺という寺がある。これを調べている間に、壬申の乱に巻き込まれた大友皇子が難を逃れて、相模国に辿り着き、余生を過ごして亡くなったという伝説(その墓、あるいは供養塔があり、宮内庁が管轄している)があることも知り、楽しかった。
 その中野の金剛寺の近くに、曹洞宗万昌院功運寺がある。もともとは二つの寺が一緒になった寺で、作家・林芙美子の墓など数多くの有名人の墓があることでも知られている。
 ところで、日本史上、最も悪役と言ったら、誰を想像するだろうか。おそらく吉良上野介義央ではないか。その墓が万昌院功運寺にある。ここは吉良家の菩提寺で、治療した医師の墓や、吉良邸討ち入りで亡くなった武士の墓標もある。討ち入りで傷つき命を落とした者は十数人もいる。赤穂浪士が40人以上も攻め込んでくれば、それだけの被害はでる。
 吉良上野介の墓を知ったとき、激しい驚きを感じた。12月14日、誰もがよく知っている討入の日に、泉岳寺の浪士たちの墓にお参りをする。けれども、本当なら、落命した吉良上野介の墓に詣でるのが筋ではないか。彼の命日なのだから。けれども討ち取った浪士たちの墓に人が集まる。ひどい話だと思う。
 小学校〜高等学校までの日本の歴史で、赤穂浪士の討入事件は全く取り上げられない。それほど歴史的な意味のある事件ではないからだ。歌舞伎や映画で人気を博しているだけで、芸能史には影響を残したかもしれないが、その後の政治や経済に大きな影響があったわけではない。
 Falconは、吉良上野介の立場から『忠臣蔵』が描かれるとしたら、面白いと思う。勅使饗応の日に、浅野内匠頭が乱心して、吉良を切りつける。このとき、浅野がもう少し平静にしていれば、誰も注目しない歴史の一コマだったかもしれない。吉良上野介も、歌舞伎や映画で演じられるほど、意地悪ではなかったのではなかったかもしれない(感情の問題だから、本人たち以外には計り知れない)。

 2003年12月13日といえば、アメリカ軍兵士によってフセイン大統領が拘束された日だ。翌日の14日、日本人の多くが赤穂浪士の討入を思い浮かべたと思う。
 デレク・フラワー著『知識の灯台:古代アレクサンドリア図書館物語』(柏書房,2003)によれば、p.43にサダム・フセイン大統領が、エジプト政府とユネスコが計画して建設した「新アレクサンドリア図書館」に多額の資金援助を申し出たとある。これが本当ならば、たとえ、その資金の出所がイラク国民の血税だったとしても、世界最大になるであろう人類の遺産の図書館の建設に理解を示したことになる。
 サダム・フセインは、裁判で死刑を宣告されるほど、悪人だったのか。
 たしかにイラン・イラク戦争の責任、クルド人や反対勢力のシーア派に対する迫害・弾圧を行った罪状は重い。しかしながら、これらを陰で操っていたのはアメリカではないか。
 サダム・フセインは、評価は分かれるにしても、小説を書き残したと言われている。
 日本語にも翻訳された。『王様と愛人』『悪魔のダンス』である。ただし、『王様と愛人』はアラビア語から直接翻訳されたものでなく、仏訳から翻訳されたもので、日本語訳の図書には著者の責任表示は無い。この2作のほかにも小説を書き残したとしたら、図書館に理解を示して、小説まで書いた文人政治家だったのではないかと推測できる。十分な判断はできないけれども、文人政治家がフセインの実像ならば、真実を究明できないまま、この世から抹殺してしまったことになる。 [more...]

22:11:06 | falcon | comments(0) | TrackBacks