December 10, 2008
国家公務員を袋叩きにするのは止めてほしいなあ
テレビの民放局の朝番組を出勤前に見ている。司会者の彼が、国家公務員の職務怠慢、無駄遣い、高給取りを、庶民の立場に立って、正義と公憤を振りかざし、画面いっぱいに怒りを訴える。まあ、たしかに、そういう国家公務員もいる。いないとは言えない。だけど、麻生首相が「医者は常識がない」と口走って、失言を責められたように、ほんのわずかの人が時には常識がないかもしれないが、厳しい条件の中で、懸命に人の命を救うために努力されている医師たちが大勢いる。国家公務員のすべてが安穏に仕事をして、民間企業と比べて、高給を税金から頂いているわけではない。司会者の彼は番組の制作者から言わされているのだから、彼を責める気にはならないが、もっと冷静に分析してほしい。
Falconは以前、国家公務員をしていた。
平成元年の頃、バブル経済が頂点に達して、爆発寸前だった。そのころ、民間企業は湯水のようにお金が溢れて、国家公務員の初任給よりも、民間の新入社員は高い初任給を支給されていた。地方公務員だって、都道府県の職員、市の職員は、国家公務員よりも高い給与を得ていた。
その頃、国家公務員になった。初任給は、田舎の月額のアルバイト代よりも、安かった。難しい試験に合格して、国の公務員になれたと思ったら、人前で口にできない給与だった。民間企業に勤めた友人には馬鹿にされるから恥ずかしくて言えなかった。公立学校の教員になった友人からは憐みの言葉をかけてもらったくらいだ。クラス会へ行くと、肩身が狭かった。
今の職に就く前で、民間の給与とやっと肩を比べられるくらいになった。
今でこそ、民間と比べて、国家公務員は高給取りで、福利厚生が恵まれているかもしれない。だけれども、人に蔑まれるほど薄給だった過去を考えてほしい。
『物語フランス革命』(中公新書)を読んでいて、貧乏な貴族が、革命期に貴族だったからという理由で民衆から蔑まれ、挙句の果てに死刑になったことに思いを馳せた。貴族、貴族と言われたって、みんな贅沢な生活をしていたわけではない。三部会で第1身分だった聖職者階級の人たちの中には、民衆と同じくらい貧乏だった人も少なくないという。
身分や職業だけでは、実態がわからない。
国家公務員の中にも「公僕」であることを意識して、日夜、懸命に国民の生活を向上させることを考えて、汗水たらして働いている人も大勢いることを忘れないでほしい。
23:17:15 |
falcon |
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