July 12, 2009

どうせ、大学教員は「単位の発券機」だ!

 よくよく考えてみると、講義中の些細なトラブルを学生が密告してきたことを受け入れて、いちいち教員に伝える大学の事務局の姿勢に問題はないのかと思う。

 私は学生の質問や申し出を比較的良く聞くほうだと思う。互いに話し合って問題点を解決してきた。正直なところ、威圧的な態度は取ったことは1度もない。だから、一言、「先生、次の講義への移動があるから、早く終わらせてください」と言ってくれたなら、要望を受け入れて、5分程度は早く終わらせることはできた。それを言わずに、事務局に思い余って訴えたかのように見せかけて言いに行くのは、もはや学生の意地悪な姿勢でしかない。それを見抜けない事務局側も、学生におもねるあまり劣化しているとしか言いようがない。
 重大で深刻な被害となるセクシャルハラスメントならば、事務局側も真剣に対応するべきであろう。しかし、講義が終了ギリギリまでになったとか、おしゃべりを注意された、居眠りをしていたら、起こされた、携帯電話で注意された、試験日が都合が悪い、レポートを出したくない程度のことを逐一、密告されて受け入れるのは、事務局側に問題がある。

 講義の開始時刻へ教室へ行っても学生が集まらないこともある。かといって、少し遅れると「遅刻」と学生に密告される。
 その上、講義を早く終えると、講義時間を無駄にしていると事務局側から注意される。
 この板挟みの中で大学教員は必死になって講義をしている。

 こうしたトラブルで大学の教員が辞職に追い込まれたり、精神的に病み、過労のため急死する事態が生じている。実際、急死している教員、うつ病などの精神疾患を起こしている教員の数は多い。
 いくらかは給与面で優遇されているとは言えども、非常にリスクの高い仕事である。
 ところが世間も新聞をはじめとする報道メディアも、学生の味方になって、教員の言い分に耳を傾けず、セクシャルハラスメント、アカデミックハラスメント、教員の不正ばかりを取り上げる。学生からの教員に対するハラスメントは話題にもしてくれない。

 もはや大学教員の権威は地に落ちている。
 受講する学生との関係でいえば、教員は《講義科目の単位の発券機》でしかない。講義内容と研究活動の素晴らしさは、二の次どころか、評価の対象ではない。学生たちをおだてて、トラブルもなく、無難に成績・単位を出せば、用が済む。歯車に喩えられる労働者よりも、人間性を否定されていると言っても過言ではない。歯車のほうが、まだ大切に扱ってもらえるような気がする。

 教員がどんなに誠実に取り組んでも、精神状態が不安定な学生が講義中に心が傷ついたと事務局に訴えれば、一気に「問題教師」へ転落する。

 15年前だったら大学に入学できなかったレベルの学生が、わんさか入学していることを忘れてはならない。
 受験のつらさを一つも経験していない、苦労知らずの甘えん坊学生がどこの大学にも半数以上いる。

02:11:12 | falcon | comments(1) | TrackBacks