January 23, 2006

教え込むこと

学校図書館司書教諭の講義には、「学習指導と学校図書館」という講義がある。この講義で学生たちは学校図書館を使った学習の指導案を発表してレポートを書く。
なかに「学習を通じて戦争をしてはいけないことを教えたい」と発表した学生がいた。
私はこの講義で司書教諭の資格を取る学生たちには、教え込むことよりも、学校図書館の資料などを使って学ぶことを大切してほしいと思っている。
つまり、「戦争をしてはいけないこと」を教え込むことよりも、学習できる方法と過程を考案してほしい。
人は自分の考えを教えたいと思っている。しかし、これからの教師は、児童・生徒をサーカスの動物のように順致させるのではなく、学ぶ環境を整えることが大切だと信じる。
そのために学習・情報センターとしての学校図書館が必要である。
競馬の競争馬でも無理やりに教えてもダメで、習性や行動をよく観察して、学習を繰り返して、走る能力を引き出すらしい。



Posted by falcon at 01:14:11 | from category: Main | TrackBacks
Comments

innerelement:

 「教え込む」という言葉を最近聞いたのは、フィンランドの学校を視察した先生の感想で、「ゆとりばかりではなく、教え込むべきところはきっちり教え込んでいた」ということでした。それも少なからずOECDの結果に反映されているのかもしれません。
 教え込みもあれば、学校図書館の資料を使う学習方法もあり、それらは教授・学習という行為の中で数ある手段のひとつとして、効果的な学習のために必要に応じて使いわけられる必要があります。そういった意味では、学校の先生には柔軟さが必要です。。
例えば短時間でピンポイントを教授する場合は教え込みで、多少余裕がある場合には
(January 23, 2006 22:51:46)

innerelement:

後半に消し忘れがありました。すいませんがその部分を読み飛ばしてください。
(January 23, 2006 23:02:12)

falcon:

 論争するつもりはないのですが、このブログで述べたことは、学校図書館を使った授業についてであって、その他の授業については、触れていません。つまり、言外の余裕を持たせて、余韻を愉しむように書いたのです。
 言葉足らずかもしれませんが、論点をずらさないために、限定して論じたつもりです。なので、基本的事項を教える必要性もあることは、十分に承知しています。学校図書館を使った授業をするにしても、文字についての学習、計算など基礎的な学習が土台になることは、言うまでもありません。
(February 07, 2006 17:41:01)
:

:

Trackbacks