January 28, 2013

アメリカが国際学力調査でトップになったことは1度もない

 当たり前なことだが、教育に正解は無い。これまで何度も教育方法、教育方針、教育政策が現れたが、どれもが正解とは言えない。
 父親のブッシュ大統領の教育改革以来、アメリカ合衆国が一貫して目指してきたのは、1980年代の日本の教育の実現である。少なくとも第二次世界大戦後、最高水準の教育を実践したのは1970〜1980年代の日本であり、アメリカ合衆国も英国も1980年代の日本の教育を手本として、教育改革を行ってきている。

 なぜこんなことを言い始めたのかといえば、色々あって悩んでいたときに、読売新聞の解説欄を読んでいて、日本の大学の教育水準を上げるにはグローバル・スタンダードである「学生の自発性を重んじた講義」をするべきだという、聞き厭きた論調をいまだに言っている人がいるからだ。その人の言い分は「日本の大学では先生が教えたいことを教えている」だけであり、これでは学生が伸びないという。それを打破するには、学生の自主性を重んじて、学生が考えて、講義で活発に議論させることが大切であるというのだ。
 冷静に考えれば、テレビで放映されたマイケル・サンデル教授の白熱講義は、極めて条件が整った段階で可能であり、簡単に明日からやってみようと思っても、うまくいかないことは自明の理である。講義に参加する学生が、初等教育、中等教育の段階で、知識と技術、情報を活用する技能を万全に身につけていなければならない。それも自発的に学ぶのを悠長に待っている余裕もなく、ギッチリと詰め込み教育を行う必要がある。

 Falconも学生の自発性を重んじた授業を何度も試みた。
 学生の自発性を引き出すことはできる。しかしながら、学生たちは困り果てて、「どうしたらいいか、教えてほしい」「先生は、何も教えないのか」と訴えてくる。そこで、「日本は教科書中心の授業ばかりで、自発性を重んじた授業をやってこなかったからなあ」と嘆き、呆れてはいけない。自発性を重んじた授業をするためには、かなりの水準で詰め込み教育を効率的に行う必要がある。

 アメリカや英国の自発性を重んじた教育はすでに破綻している。基礎的な学力を身につけずに、自発的に学べ!というのは無理な話なのである。極端なことを言えば、基礎的な体力づくりをしないで、いきなりイチロー選手のような打者になれ、ダルビッシュのような投手になれ、というものなのだ。
 自発的な学びを身に着けるためには、かなりの基礎知識・学力を身につけて、充実した図書館資料と情報環境が整っていないと実現はできない。

 アメリカの真似をすればいいと考えるのは、あまりにも単純な論理であり、馬鹿げている。ここまで極論するには、根拠がある。
もう一度、いや、何度でも言おう、「アメリカが国際学力調査でトップになったことは無い」。
 アメリカは1980年代の日本の教育を手本にしていることを、目覚めて気が付いてほしい。それに気が付けば、日本の知識人が発言しているグローバル・スタンダードが、いかに空疎なものなのかがわかるはずである。よって、日本の知識人といわれている人のほとんどが空疎な存在で、そんなものに惑わされているのが実に馬鹿馬鹿しい。

Posted by falcon at 21:38:02 | from category: Main | TrackBacks
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