September 13, 2012

今日、《住宅》に出会った

 住宅顕信(すみたく けんしん)と読みます。
 朝、古新聞を片付けていたら、住宅顕信の伝記に目がとまり、読みふけってしまいました。



 日本図書館協会に用事があったので、帰りに東京駅丸の内口にある丸善で、住宅顕信の句集『未完成』を買い求めました。最初、春陽堂文庫なので文庫のコーナーにあるのかと思って探しましたが見つかりません。店員に尋ねたら、句集のコーナーにあることがわかりました。棚から手にとって、開いたページ(p218)には、

  若さとはこんな淋しい春なのか

 の句があり、かなしみと涙がこみ上げてきて、足が震えて、立ちつくせなくなり、かがみこんでしまいました。幸いなことに、夕方で客足が途絶えてきたときだったので、気づかれなかったと思います。同世代だからこそ感じられるものがありました。
 住宅は、浄土真宗に帰依して、得度して僧侶となり、結婚、急性骨髄性白血病を発病して、妻の実家の願いに応えて離婚、長男を引き取って、病室で育てつつ、25歳と10カ月の若さで夭折しました。短い3年間の間に281句の自由律俳句を残したといわれます。
 住宅が亡くなった昭和61年はバブル景気に突入する直前でした。まさか空前絶後の好景気が押し寄せてくるなんて考えもいない、嵐の前の静けさのような時代に、彼は息を引き取ったのです。1970年代のドルショック・オイルショック・狂乱物価の不況から好転する兆しが見えてきた頃です。

 Falconは思えば、大学を卒業して、図書館職員になる夢を捨て切れず、親元からアルバイト先へ通っていたころです。
 若者、若者と世間の人ははやし立てるけれども、アルバイトで稼いだお金は大人たちに巻き上げられて、なんとなく手ごたえが感じられなかった時代でした。バブル経済で、この世を謳歌していたのは団塊の世代です。たしかに60年安保闘争、70年安保闘争で辛い思いをしたかもしれませんが、淋しさは無かったと思います。Falconの世代は淋しさだけが残っている日本を生きていたと思います。
 住宅の句には、そんな時代のやるせない「空気」が感じられます。もちろん、不治の病に侵される経験は共有できませんが、青春という言葉が導く残酷な淋しさは、今でも痛感できると思います。
 住宅がこの世を去って四半世紀になります。「淋しさ」という原子の中に潜む「虚しさ」という素粒子が世の中を満たす時代になってしまいました。

 ところで句集『未完成』の巻末には住宅顕信の短い人生と死後の経過をたどった年譜があります。
 それを見ると、高等学校の教科書にも載ったことがあるんですね。児童書などでも「ずぶぬれて犬ころ」という句が紹介されている。住宅の句に出会える子どもたちがうらやましい。

 フランスでは空前のジャポニスムです。19世紀の印象派以来の第2次とも言える日本ブームです。オタク文化とマンガだけかと思いきや、俳句がフランス人の間で大流行しています。このブログで1月ごろ、ブルターニュ地方のレンヌで俳句をツイッターで呟くコンテストを行うというニュースを紹介しましたが、俳人・住宅顕信は北野武監督と並び称される程の人気ぶりです。

 Falconも住宅に習って、一句

 秋の背中、振り返れば月かげ  一騎


Posted by falcon at 00:22:54 | from category: Main | TrackBacks
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