June 29, 2012

大学の授業評価は、とにかく廃止して!一教員の叫び

 大学の今年度の前期日程も終わりに近づいてきた。

 そして、憂鬱な「授業評価アンケート」の季節になった。

 これまでも、何度か、「授業評価アンケート」の問題点をぼやいてきた。

 岡山大学で実施したところ、大学の講義を改善できたという成果で、あっという間に普及した「授業評価アンケート」だが、はたして、どれだけ大学の講義を改善できたのだろうか?

 改善率が全く公表されていない。改善率が上がっていなければ、「授業評価アンケート」をする意義は無い。

 授業評価アンケートがあるために、委縮してしまい、学生にある程度、高度な課題を求めることが難しくなっている。

 「授業評価アンケート」は、大学基準協会などの評価団体に示すだけの「言い訳」でしかなく、そのためだけに、上質な紙の代金(一部の大学ではインターネットでアンケートを行っている)とOCRの読み取り作業など、莫大な費用と作業をかけている。全くの無駄である。貴重な入学金、授業料が費やされている。その分、講義環境、教室の設備を改善したほうが、ずっと大学の教育レベルが向上するにちがいない。

 そもそも、無記名で自由に意見を書かせる方式に問題がある。学生の意見は主観的であり、ちっとも客観的ではない。さらに言えば、陰湿なネット書き込みと何ら変わりない。インターネットのネット書き込みを盛んに問題にするのに、授業評価は金科玉条のように行っているのは、正常な精神とは思えない。

 授業評価アンケートは、教員と学生の信頼関係を崩壊させる。

 授業評価アンケートが無くなる日が待ち遠しい。

 念のため、言っておくが、Falconの講義を受講している学生の多くが高い評価を与えてくれている。罵詈雑言を書き込むのは50人のうち1人程度である。些細なことを気にして、ここで意見を書き込んでいるのではない。

 単純に、費用と作業と時間が余りにも無駄としか思えないからだ。

 全くもって、同感の一言といえるWebpageがあった。
 読売新聞などで、授業評価アンケートの是非を問う特集を組んでくれないだろうか。

 罪深き授業評価アンケート。
 
 優れた実践が1例あったとしても、すべてに当てはまるとは限らない。朝の10分間読書も同様である。

 ある行いが独善的なった時の恐ろしさを、人類は何度も経験している。ナチス・ドイツや、オウム真理教を引き合いに出す必要もない。

 不都合なことに気が付いたときに、改める勇気を持つべきである。放置すれば、取り返しがつかなくなる。ギリシア危機を思い起こそう。

Posted by falcon at 22:46:21 | from category: Main | TrackBacks
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