May 27, 2012

文学、恐るべし!

 ときどき、文学作品は恐ろしいと感じます。
 文学作品が事実も真実もゆがめてしまうことがあります。

 その、もっとも顕著な例が、「赤穂事件」、俗に「忠臣蔵」です。私たちが知っている話のほとんどが、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』と、それに基づく映画やテレビドラマで描かれ、語られたことです。日本人に最もよく知られている歴史的事件なのに、歴史の教科書には、ほとんど書かれていません。何が真実なのか、ほとんどわからないのです。聖徳太子の時代のことなら、謎が多くても仕方ありませんが、江戸時代であっても、本当のことがよくわからず、「虚構」が知れ渡っているのです。

 そういえば、『平家物語』も、ある意味、重大な影響を後の歴史認識に与えています。
 義経の一の谷の合戦における鵯越、那須与一の扇打ち等のエピソードは、『平家物語』で語られたことなのに、てっきり歴史上の出来事のように思いこんでいます。

 川合康著『源平合戦の虚像を剥ぐ:治承・寿永内乱史研究』(講談社学術文庫)を読み始めて、「ああ」と溜息をつくばかりです。源平合戦で知っていることは、『平家物語』に書かれていることばかりでした。歴史的な事実と判断できることは、全くといって理解していません。

 「文学作品にこそ、大ぴっらに言えないことが書かれている、それこそが真実なのだ」と考えれば、たしかに、そうなのですが、文学は所詮、虚構です。虚構こそ、真実であると思いこんでしまっては、「事実」の立場もありません。

 かといって、「虚構」を虚構として楽しめないのも、野暮というものです。

 野暮でも事実を究めるのも良し、粋ながら虚構の夢に遊ぶのも良し。虚構を事実に置き換えて、人をだますのだけはしたくありませんね。迷惑にならない程度にだますのは許せますけど。

 「何か、文句あるの?」

 いえ、何にも。。。。。。

Posted by falcon at 21:33:44 | from category: Main | TrackBacks
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