February 28, 2010

昭和初期は暗黒時代でなかった!

 この記事を書き終える頃には、もう明後日のことになるだろう。
 日本中がキム・ヨナと浅田真央のフィギュア対決に熱狂してた日は、二・二六事件から74年目だった。
 そんなことを思いついたのは、ちょうど青木宏一郎著『軍国昭和東京庶民の楽しみ』(中央公論新社)を読んでいたからだ。



 そういえば、『南北戦争』、真保裕一著『栄光なき凱旋』を読み始めて以来、戦争ものにハマっている。『〜戦争』を毛嫌いしたのにね。

 「嫌い、嫌いと言いながら、読みとおしたでしょ!」

 うん、まあね。

 日本は日清・日露戦争以来、軍国化の道を歩んできた。そのために、庶民の生活は厳しい状況を強いられて、思想も弾圧されて、何の楽しみも無かったと思っていた。昭和初期は超デフレの大不況だったから、さぞかし夢も希望もない時代と思っていた。
 ところが、この本を読むと、昭和2年から昭和10年くらいまでは、東京の庶民たちは逞しくもレジャーを楽しんでいる。昭和2年に地下鉄が浅草―上野間が開通して、浅草と上野はにぎわい、銀座はクリスマスで盛り上がった。昭和3年はアムステルダム・オリンピックに庶民は熱狂している。冬になれば、スキーや雪山登山を楽しんでいる。春と秋の行楽シーズンには、鉄道会社が乗降客数を競う。夏になると湘南方面、鎌倉は海水浴客であふれる。大学対抗野球に盛り上がり、大相撲、歌舞伎、映画にと、今とそれほど変わらないくらい庶民は楽しんでいた。
 驚いたのは、昭和初期は月島で海水浴していたこと、今はフットサル場になってしまった神宮プールが賑わっていたこと、今はアクアフィールド芝公園と名称を変えた芝プールがすでにあったことだ。

 今、東京で屋外で、しかも50メートルプールというのも数少なくなった。
 Falconも神宮プールでよく泳いだ。歴史のあるプールだったんだなあと思う。太平洋戦争(大東亜戦争)前には、日米対抗水泳大会も開催されていた。芝プールも人気があったとは!
 神宮プールのプールサイドで強い日差しのもとで甲羅干ししていると、ひげを生やしたガタイの良いお兄さんたちがオネエ言葉で話していたっけ。

 昭和11年に二・二六事件が起きたころから、庶民の暮らしはだんだん暗くなってくる。
 それにしても興味深いのは、昭和7年の五・一五事件の前日に喜劇王チャップリンが来日している。また二・二六事件で騒然としていた三月に、チャップリン夫妻が来日している。実は、それなりの思惑があったらしいのだけれども。

Posted by falcon at 00:36:32 | from category: Main | TrackBacks
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