February 27, 2009
禅―ZEN
映画、見てきました。良かったあ、泣けました。
立松和平さんの小説は原作ではありませんが、立松版・道元を読んでいたので、一場面、一場面の意味深さを理解できました。
しかしながら、難を言わせてもらえば、CGが浮いてしまって、少し興ざめしました。道元が大悟を得る場面も、中村勘太郎さんの表情と画面構成で十分に表現できたと思います。藤原達也さんが演じる北条時頼が乱心して、刀を振り回す場面も、藤原さんの鬼気迫る演技で十分理解できます。
若き日の道元が中国で行脚する場面がもう少し見たかったですね。太宰府から旅立つ場面もあると、もっと面白かったと思います。中国の禅寺をもっと見たかったのですが、もしかすると文化大革命の時代に荒廃してしまったんのでしょうね。
日本は、まだ美しいと思わせてくれる映画です。
立松和平さんの『道元禅師』下巻で興味深かったのは、本筋とはあまり関係ないのですが、道元が修行僧に対して楊枝を使って歯を磨くことを奨励していること、また東司(とうす)、便所での作法について詳述していることです。
上巻の後半、道元が大宋国を訪れたときに、かの地の僧侶の口臭がひどいと述べているのが印象的ですが、日本へ戻ってからは、華厳経に基づいて、楊枝の使用を奨励しています。お経の中で歯磨きについて述べているのは、大変驚きました。
また、便所での作法まで、お経の中にあるのも驚きです。
尾籠な話で恐縮ですが、大便をした後、「籌木(チュウギ)」という箆(ヘラ)を使って、処理をしていたようです。立松さんは「箆か紙で」と書いていますが、当時紙は貴重で、便所で使えませんでした。そのため、木や竹の箆で処理していたのです。痛そうで、綺麗に処理できそうもないようですが、意外と綺麗になるようです。使われ始めたのは、平安末期から鎌倉時代にかけてのようですが、じゃあ、源氏物語の時代はどうしていたのでしょうか?布で拭いていたらしいとか、砂で処理していたとか、水で洗っていたとか、いろいろ説があるようです。タイなどのアジアの国々、イスラム圏では、今でも水と左手で処理していますから、水で洗っていたというのが妥当かもしれません。そういえば、手は使わないものの、水で洗いますよね。
宗教というと難しい話かと思いますが、身近な生活に結びつくことを教えてくれていたのですね。改めて、道元の思想の素晴らしさを知りました。
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