February 07, 2009

日本の目録は「ガラパゴス化」?

 2月5日、国立国会図書館新館の講堂で開催された公開講演会「目録の現在とこれから−"目録の危機"の時代からの展望−」に参加した。
 平日の午後にもかかわらず、大盛況で講堂を埋め尽くすほどの参加者だった。 目録という図書館の世界では実に地味な話題だったが、参加者の関心が極めて高かったのだろう。前回の講演会のスウェーデン国立図書館館長の講演のほうが、一般の人でも興味を持てる内容だったのに、意外と参加者が少なかった。

 上田修一先生(慶応大)、渡邊隆弘先生(帝塚山学院大)、中井万知子氏(国立国会図書館)のそれぞれの講演は示唆に富むもので興味深かった。特に渡邊先生の講演は、海外の目録をめぐる動向が短い時間で十分すぎるくらいまとめられていて、大変参考になった(ちょっぴり難しかったけどね)。中井氏の主催者側として意図についても、切実感が表れていて共感できた。

 司書講習・司書教諭講習をはじめとして、大学の司書課程・司書教諭課程で、目録と分類について学ぶのだが、図書館で実際に目録を記録することはほとんどない。公立図書館は、図書館流通センター(TRC)などが作成したMARC(機械可読目録)の目録データをダウンロードすることが多い。学校図書館でも同様だが、一部の学校図書館ではカード目録を作成している。大学図書館では、国立情報学研究所のNACSIS・Webcatで共同目録作業をするので、国立国会図書館やTRC、海外の機関が作成したMARCデータを流用して一部の大学図書館が作成したデータをさらに流用して、所蔵データを登録する。専門図書館でも目録をコンピュータで処理するところが多い。なので、図書館職員がはじめから目録を作成することは殆どない(誰とは言わないけど、図書館のことは詳しいと豪語している人でも、目録については理解が乏しいことがある)。大学の司書課程・司書教諭課程では、図書館サービスや児童サービス、「図書館の自由」などに関心は集まっても、目録となると、学生たちは居眠りしていると仄聞する(ただし、Falconの資料組織概説の講義では眠る学生は居ない)。

 前置きが長くなったけど、講演で上田先生がおっしゃった通り、目録作業はレファレンスでも、貸出でも、目録データが無ければ、全く機能しないくらい、図書館ではきわめて重要な基礎作業であるのに、今では外部の機関、言い換えれば他人まかせになっているので、図書館職員が関心も湧かない状況になっている。

 そこで、実は、上田先生が講演の最後におっしゃった「日本の目録のガラパゴス化」に異論がある。

 上田先生は、海外(特にアメリカ合衆国)では目録の論議が活発化して「グローバル化」が進んでいるのに、日本国内では「日本語の本を日本語で記述。典拠、件名標目表の意識の希薄さ。日本目録規則の非基本記入、書誌関係の独自仕様。書誌ユーティリティを含めた目録作成提供システムの独自進化」を列挙して、日本の目録規則は「ガラパゴス化」していると、指摘された。

 話を聞いた当初、Falconは、なるほどと納得した。
 「でも、ちょっと待てよ」といつものツッコミ癖がむくむくと湧き起こった。

 まず「日本語の本を日本語で記述」だが、目録の書誌記述は各言語の性質に左右される。これは目録記述の宿命で、「ロシア語の本をロシア語で書誌記述する」「アラビア語の本をアラビア語で書誌記述する」ことを「独自性」とされても、抗弁しようがない。おそらく上田先生が主張したかったのは、日本目録規則(NCR)は多言語資料に対応しているのかという点だと思う。
 NCR新版予備版(1977)は、和書、敢えて言えば漢字圏の国の図書には対応していた。NCR1987年版、それ以降の改訂版は、和書だけでなく洋書にも対応した目録規則で、国際標準書誌記述ISBDに基づき、書誌情報の国際化に十分対応しているので、むしろグローバル化した目録規則で、「ガラパゴス化」とは考えられない。
 「典拠、件名標目表の意識の希薄化」については、上田先生の意見に同感する。
 日本の図書館では、資料を探すとき、分類記号を使う。しかし、分類記号は図書館学を学んだ人でなければ、理解できない。「489は何?」と言われて、咄嗟に分類記号が表わす主題を思いつく人が、一般利用者に何人いるだろうか?ヨガとピラティスの分類記号を答えられる人は、ほとんどいないだろう。日本十進分類法では、ミラン・クンデラ、カーレン・ブリクセン(別のペンネーム:イサク・ディネーセン)の同一著者の著作の分類記号が分かれてしまうことを、どれだけの人が知っているだろう。
 一方、海外、特に欧米では、言葉で主題が表現された件名を目録情報の検索によく用いる。件名として「哺乳類」だったら、多くの人が理解できて、安心して、資料の検索ができる。

 講演の後で、質疑応答の時間があり、上田先生へ「ガラパゴス化」問題の質問状を提出した参加者が2名いたそうで、疑問を感じたのはFalconだけでなかったようだ。
 上田先生は、「ガラパゴス化」は野村総研が日本の携帯電話の仕様が独自になり、海外で普及できなかったことを評したもので、と定義を説明していた。とはいえ、歯切れの悪い解説だった。

 「日本の目録はガラパゴス化」と断言してしまうのは、的には当たったとしても、かなり中心から逸れた当たり方だったと思う。
 英米目録規則AACRは、1961年のパリ原則による基本記入方式を保持してきた。もちろん、改訂版のAACR2で「等価標目」という考えを導入したけれども、コンピュータ時代の目録に対応したとは言い切れない。
 その点では、日本の目録規則のほうが独自に進化したとは言えども、ISBDの理念を取り入れて国際化したと言える。
 最近読んだ恐竜の本の内容に、たとえて言えば、目録の古生代の終わりペルム紀に当たるパリ原則によって、英米目録規則と日本目録規則はそれぞれ進化を始めたけれども、AACRは新生代になっても生き延びていた中生代の恐竜の子孫なのだ。日本目録規則は時代の歩調に合わせて進化した哺乳類といえる。
Posted by falcon at 19:14:13 | from category: Main | TrackBacks
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