February 25, 2008

もう、こうなったら「呪い」にはしる

 このBlogを開設したばかりの頃、「呪い」の本を読んだことを書いた。

 人に知られたら、呪いの効果が薄れるかは、ともかくとして、第一にみっともない。人知れず行うから、カッコイイ。カッコイイ呪いを実践しよう。訳もわからないことで怒られたり、不快な思いをすることが多い。そのときは、思いっきり「呪ってやる!」と心の中で念じる。
 実際、「効果の高い呪い」を実行するためには知識も、準備も、エネルギーも、体力も、精神力も必要だ。並みの人間ではできない。呪いを実行するには、それなりの優秀な人格を磨かないとできない。
 ゆえに、「呪う」人間になるためには、優れた人間になる。つまり、「効果の高い呪い」とは、自分の人格を磨きあげることで、呪う相手の社会における人格を貶めることである。その結果、相手に不幸が訪れても、知ったことではない。別に顕著な形で、相手を傷つけた訳ではないから、「犯罪」ではない。憎しみの気持ちを懐きながら生きることは辛い。マイナス思考になる。どうせ、人を呪うなら、前向きに考えて、自分を磨くことしかない。その過程で、「憎しみ」を解消する。そのほうが、楽だし、得だ。
 紹介した宮島鏡さんの著書には「呪い」は「祝い」と同義だったと述べられている。けして、呪いは悪いことばかりでなく、これから起こることを祈念する意味も込められていた。
 最近、呪ってやる相手が増えた。呪うためには、ますます自分の人格を磨こうと思う。呪いで人を殺そうなんて思ってはならない。また、憎しみから自殺を引き起こすのも、呪いの哲学に反する。カッコイイ呪いは、自分が誰よりも優れた人間になり、相手の品格を貶めることだ。

 うーん、そういえば、この本、池袋西武のリブロで見つけた本だった。たしか、呪いの本ばかりのブックフェアだったと思う。流石だなぁ。

Posted by falcon at 01:43:00 | from category: Main | TrackBacks
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