July 27, 2007

ここまで判った「総合的な学習の失敗」!

 今日、学校図書館に関する集会がありました。集まったのは学校図書館に関わっている教師の皆さんです。

 そのなかで、「もう『総合的な学習の時間』は失敗してしまった」という発言がありました。
 たしかに「総合的な学習」は、最初っから目的がなく、環境・健康・福祉・国際理解などについて学ぶというテーマ学習を掲げていました。
 本来、「総合的な学習」はすべての教科の内容を横断的に児童・生徒が主体的に学び、そこで「情報活用能力」注1を身につけるものでした。

 注1:この言葉は、文部省(現・文部科学省)が使ったので、一部の学者が「定義が曖昧!」と決めつけて、「情報リテラシー」、「情報スキル」、「メディアリテラシー」など、欧米で使っている言葉を導入して、増殖させています。定義が曖昧なら定義しなおせば良いのです。日本人なら、日本語で表現するのが真っ当なやり方です。何も欧米化する意義はありません。

 日本で「総合的な学習」を創設した頃、アメリカ・イギリスでは子どもたちの学力低下が顕著になっていました。さらに学力格差が広がっていたのです。アメリカでは、児童・生徒の主体性を重んじた学習をしていたために、体系的に物事を知ることができないという指摘がありました。「学ぶべきものが学ばれず、これでは『カフェテリア学習(子どもたちが好きなものを選んで学ぶ)』である」と指摘されていました。また、児童・生徒の主体的学習を支えるためには、学習情報センター(学校図書館)の資料の質・量ともに充実が必要とも指摘がありました。
 アメリカ・イギリスは現在、1980年代の日本の教育のあり方を手本に、教育改革を進めています。国家的な教育水準を上げることを目的に、教科書に基づいた学習をさせて、体系的な知識を身につけさせようとしています。このことから「総合的な学習」は失敗に終わると結論づけている学者もいます。

 「総合的な学習」に対して否定的見解が多い最大の理由は、やっぱり教師は教師で、文字通り、教えなければ自分の職務が果たせないと思い込んでいるからです。たしかに教えるほうが楽ですし、児童・生徒が知らないことを教えると彼らに尊敬されて、それなりに優越感・快感があります。児童・生徒も時間をかけて手探りで自分で考えるよりも、先生から「考え方」「解答」を教わったほうが楽です。(学習塾や予備校は限られた時間で「考え方」と「解答」だけを教えてくれるので、効率的で、ある意味「楽」なんです)「総合的な学習」で児童・生徒に学習意欲を持たせて主体的に学ばせるというのは、ものすごく時間と労力、忍耐力が必要なのです。
 つまり、教師は自分が教えないと気がすまないのです。ましてや学校図書館やインターネットの情報が児童・生徒の学習を支えるなんて、許せない!と思っています。もっとはっきり言えば、百科事典や情報に対して「嫉妬心」の炎をめらめらと燃やしているのです。「インターネットは役に立たない!ダメ!」と最初から決めつけるのは、教師のプライドが許せないのです。

 やがて子どもは学校を卒業して、社会に出てゆきます。いつまでもそばにいて教えることはできません。
 社会に出たときに役に立つ「情報活用能力」を身につけて、自ら考える力をつけてあげるのが大切です。「百科事典、辞書の使い方を教える」のではなく、「百科事典、辞書を使って、新たに知ったことを、すでに知っていることと結びつけて、考える」ことが大切なのです。
 


Posted by falcon at 23:34:55 | from category: Main | TrackBacks
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