March 29, 2011

春の渋谷にパリ気分:ファラフェルからフェルメールへ

 東京地方は震災後、朝晩は寒く、真冬のような日が続いていた。やっと暖かくなった。遅い春が来た。大学は入学式を中止して、授業開始を遅らせているところも多い。おかげで長い春休みになった。

 桜もちらほら咲き始めたのに、まだ梅の香も、沈丁花の香もかすかに残っている。

 3月29日、今日のランチはファラフェルを食べた。ファラフェルって、憶えている?イスラエル、レバノン、エジプトで食べられる地中海料理の一つだ。以前、パリで食べたことを紹介したけど。ひよこ豆をつぶして、丸めたものを油で揚げた一口サイズのコロッケのようなものをファラフェルという。それをピタパンと言う薄べったいパンにはさんで、店にもよるけど、焼きナスや新鮮な野菜のサラダを盛って、ソースをかけて食べる。パリやニューヨークなど大都市では大人気のファストフードなんだ。

 東京や京都では、いくつか店舗があるけれども、今日は渋谷にあるKuumba du falafelへ行った。最寄駅は井の頭線の神泉駅で、数日前、夕方、行ってみたんだけれど、場所がわからなくて、「砦」というラーメン屋でラーメン食べて満足して帰ってきてしまった。今回、渋谷駅から東急本店をめざして、そこから松濤方面へ歩いて見つけた。山手通りと旧山手通りの分岐点で、山手通り側にある。高速道路の支柱があるので発見しにくい。しかも、この店には看板が無いので、入るのに戸惑う。でも、近づくと美味しそうな匂いが漂っているので、わかるはず。
 手狭な、cosyな店で、若いお兄さんが働いている。店内で食べられるが客席も8席くらいで、持ち帰りもできる。
 1000円のランチを頼んだ。レンズ豆のスープとファラフェルのサンドウィッチが出てくる。レンズ豆のスープは、スパイスが効いている。たぶんウイキョウ、というより、アニスと言ったほうがわかるかな、の香りが爽やかで、美味!ファラフェルのサンドウィッチはFalconが普段食べる3日分の野菜が山盛りだった。

 東急本店・東急文化村から松濤にかけては、おしゃれなお店が多い。街並みがまるでパリのようだ。かつての花街、歓楽街の円山町と、東京では御屋敷町の面影を残す松濤(鍋島藩の御屋敷があった)が東急文化村通りを挟んでいる。渋谷からは緩やかな坂道になっているので、モンパルナスのような雰囲気がある。
 モンパルナスと言えば、池袋に「池袋モンパルナス」という文化人村があった。画家の寺田政明、松本竣介らが居住していた。詩人の小熊秀雄が「池袋モンパルナス」と名付けたとも言われる。画家の寺田政明の息子さんが俳優の寺田農さんである。

 ファラフェルを食べて、東急文化村で「フェルメール展」を観てきた。メインは「地理学者」という、フェルメールの画題では珍しい男性一人の肖像画である。日本の丹前(どてら)のようなものを着ていると思ったら、本当に当時、オランダでは日本の文物が流行して、それを羽織っているらしい。
 好き嫌いが分かれるけど、「ねずみのダンス」という可愛らしい絵もあったし、「苦い薬」と言う肖像画の男の顔が印象的だった。
この絵画展は、ドイツのフランクフルト・アン・マインの美術館の収蔵品が中心だったけど、ファラフェルから始まって、渋谷でパリ気分を堪能した。

 今年はいろいろ事情があって、パリへ行けなかったので、気分だけ味わいました。

23:25:00 | falcon | comments(0) | TrackBacks

March 25, 2011

図書館に西太后?!

 そろそろ『蒼穹の昴』も最終回だ。

 2日前、震災関連番組が少なくなってきて、夕方、昨年の連続ドラマ『Mother』の再放送を観ていた。

 図書館の書架の蔭に、西太后がいる!?
 それも、怯えたような表情で。清朝はどうしたのよ、と叫んでしまった。

 田中裕子さん演じる「うっかりさん」が図書館で、主人公の親子を見守っているシーンだった。ドラマの内容はバラすわけにいかないので、観てのお楽しみとしておこう。

 ちなみに日野市立図書館でロケが行われたらしい。

 日野市立図書館と言えば、『図書館戦争』の「日野の悪夢」だ。
 いまだに「日野の悪夢」の設定は理解に苦しむ。ほとんど説明が無く、稲嶺特等図書監の英雄的な行動と悲劇を感傷的に描く仕掛けだけだったとしか思えない。所詮、軍隊オタのツンデレ・ラノベの限界なのかもしれないが、「日野の悪夢」について、もう少し説明を書きくわえてもらえたら、小説の見方も変わったかもしれない。

 それよりも図書館に西太后?!だ。

02:50:21 | falcon | comments(0) | TrackBacks

地震と災害の『紀伝体』

 先日、紹介した『地震の日本史』が編年体の歴史ならば、伊藤和明著『地震と噴火の日本史』(岩波新書)は紀伝体の歴史と言える。



 著者の伊藤和明氏は、元NHK解説委員で、現在、防災情報機構会長などを務めている。今回の東北関東大震災で、ときどきコメンテータとして出演している。

 日本書紀の古代の地震、火山の噴火、巨大地震と大津波、内陸直下地震、大都市直下の大地震、鯰絵のエピソードを掲載している。同じような地震と災害が、まるで人の伝記のように綴られている。

 興味深かったのは、江戸時代の人たちが地震や災害にあっても、狂歌や川柳、戯れ歌を書き残している点である。江戸時代ではないが、明治24(1891)に起きた濃尾地震が明治33(1900)年の鉄道唱歌に歌われていて、「地震にあえば身の終わり(美濃・尾張)」という冗句が言われていた。被害にあっても洒脱に逞しく生きる庶民の心意気が感じられた。
 鴨長明、吉田兼好、松尾芭蕉、新井白石らは、大地震を経験して、著作に書き残していたり、地震を織り込んだ俳諧を残している。宮沢賢治は生まれて間もなく、明治29(1896)年の陸羽地震に遭遇している。

 今回の東北関東大震災で連日、テレビの報道番組で繰り返し、津波の映像を観た、というより見せられた。映像や音声の情報量は、文字の情報量より膨大であり、影響力も大きいといわれているが、本書で紹介された当時の地震と災害の記録は、まるで眼前で起こっているかのようで、より生々しく凄絶である。濃尾地震の時の名古屋の様子を読んでいると、そこで地震を体験しているかのような臨場感、デジャヴュがある。改めて「ことば」の威力を感じた。また、こうした記録を保存して受け継いできた図書館の大切さも思った。図書館が無ければ、こうした貴重な過去の記録も知らないで終わってしまう。

 明治29(1896)年に起こった明治三陸地震津波は記録的な大災害だった。今回の東北関東大震災と同じ規模の被害があったらしい。死者は二万人を超えた。このときは震度3か4程度の地震が数回あったにもかかわらず、最後の地震から35分後に大津波が襲ってきた。揺れが小さいのに巨大な津波が襲う「津波地震」だったようだ。その37年後に起こった昭和8(1933)年3月3日に起こった昭和三陸地震では震度4から5の大きな揺れがあり、巨大津波が襲って大きな被害があった。このときは「(明治三陸地震津波のように)揺れが小さいと津波が大きい」という思い込みから「揺れが大きいと津波は小さい」と逆に考えて避難しなかった人がいたようだ。今回の震災は揺れも大きく、津波の被害も甚大であった。揺れの少ない「津波地震」は途轍もない恐怖を感じた。明治三陸地震津波の3か月後に東北地方の内陸で陸羽地震が起こっている。巨大地震は連続する。油断してはならない。

 そのほか、著者は内陸の山地で起こった地震の後の崖崩れ、堰止湖の崩壊による下流域の洪水を警告している。地震は津波だけでなく、二次、三次災害も恐ろしい。

 さらに大都市直下で起きる地震では、京都で起きる懸念を述べている。著者によると京都は「約160年に1回」地震災害に見舞われている。1830年の地震以降、180年近く京都は地震の被害が無い。阪神淡路大震災があったことを考慮すれば、やや安心できるが、戦災にあうことなく、木造家屋が多く、消防車が通れないくらい道が狭い京都は防災上、危険な町と著者は心配する。

 この本でFalconが最も興味を引いたのは安政江戸地震のときの浅草の眼鏡屋(この時代にメガネ屋があったのも驚きだけど)の話である。地震が起こる2時間前に磁石の磁力が落ちたというエピソードである。科学的に証明されていないらしいが、その後、この現象を利用した地震予測機がつくられたという。佐久間象山も作ったらしい。これが科学的に実証できれば、驚きに値する。

 実はこの本図書館で借りた。たぶん、読みたい人が待っていることだろう。早く返そう。

00:39:15 | falcon | comments(0) | TrackBacks

March 23, 2011

単位を理解しよう

 Falconの知り合いXはニュースで報道されたことで慌てて行動する。しかも、その知り合いは図書館情報学の専門家を自認している人だ。図書館情報学を専門としている人ならば、図書資料、インターネットの情報を活用して、駆使して判断すれば、良さそうなものだが、その人の人文系の「情報活用能力」は機能しない。たぶん、今頃はペットボトルをさがしまくり、放射性物質を含まない水道水が供給されている地域の知り合いYから水を取り寄せる手配をしていることだろう。

 ニュージーランドの地震の時から、伊藤幸夫,寒川陽美著『知っておきたい単位の知識200』ソフトバンククリエイティヴ(サイエンス・アイ新書)を大変重宝して使っている。

 ちなみに、東京都の金町浄水場で検出された放射性物質の放射能の単位「ベクレル」については、上記の図書の156-157ページで解説している。
 ベクレルとは、フランスの物理学者アンリ・ベクレルの名前にちなんでいる。
 ちょうど、ベクレルについては、あちこちのテレビ情報番組で解説しているが、高等学校の物理と化学を十分に学ばなかった人を対象に説明しているので、わかったような、わからないような説明になってしまっている。
 ベクレルとは、上記の図書では「放射性物質が1秒につき1個壊変する放射能」と解説している。
 放射性物質の1個とは原子1個を意味している。1秒間に1個の原子が「壊変」、つまり原子核が壊れて、別の原子核に代わったり、エネルギー状態が変化したときに発生する放射線の量を1ベクレルという。

 物質1モルにはアボガドロ定数の6.02x10の23乗個の原子または分子が含まれている。
 水分子(H20水素2個、酸素1個)の1モルは18グラムになるので、水1リットルは約55.55モルになり、水分子は約334.411x10の23乗個、さらに水素はその2倍、酸素は1倍、水素原子と酸素原子を一緒に考えるのに無理があるけれども、原子の数だけで考えれば、約約334.411x10の23乗個の3倍、約1003.233x10の23乗個になる。
 今回検出された1リットルに210ベクレルとは、きわめて単純に水と放射性物質だけと仮定して、ざっくり言って、水素2個と酸素1個が化合した水分子の原子の個数、約1000x10の23乗個の中に、1秒間に210個の壊変する放射性物質ヨウ素131の原子が含まれているということになる。実際にはもっと複雑な計算があって、含まれている壊変する前の放射性ヨウ素の量ははるかに多い。210ベクレルならば、1時間に765000個は壊変している。
 注意したいのは1秒間に壊変する放射性ヨウ素は210個という点だ。
 放射性物質は、刻々と変化しているので、要するに「諸行無常」ということになる。

 興味深いことには、放射性ヨウ素は前立腺がんの治療など、がんの放射線治療に用いられている。正常細胞に影響を与えるとともに、がん細胞を殺す「両刃の剣」である。

 ここから人文系の思考に入ってみよう。
 人間の悲しみや恐怖は、数値で表すことはできない。

 仏教、中国算法、和算では、最大の数の単位を「無量大数」という。さまざまな説があるので、一概に言えないが、10の68乗が「無量大数」とされる。その1万分の1、10の64乗が「不可思議」だ。

 数の「不可思議」でさえ、想像がつかない。
 人の思いは「無量大数」でも表すことができない。

22:31:57 | falcon | comments(0) | TrackBacks

今こそ、タイガーマスク

 まだ被災地は混乱しているし、道路も交通機関もやっと通じたばかりだから、個人的に物資を送るとしても、迷惑になる。系統立てて、物資を送る必要がある。

 最近、話題にならなくなったタイガーマスク・伊達直人だけれども、今こそ、タイガーマスクの出番だと思う。
 ランドセルが余っていたら、被災地の学校へ届けてあげられると良いけれど。

01:06:33 | falcon | comments(0) | TrackBacks