October 25, 2010

『ホームレス博士』対Falcon

 水月昭道著『ホームレス博士』(光文社新書)を読んでいる。すでにブログで『高学歴ワーキングプア』(光文社新書)、『アカデミック・サバイバル』(中公新書ラクレ)も取り上げている。
 さて、水月氏の文章は面白いので、楽しんでいるけれども、やり玉に挙げられている専任の大学教員としては釈然としない思いが残る。
 またしても、「大学院を出たけれど、大学の先生になれない」不幸な「博士号取得者」の話である。ワーキングプアを通り越して、いよいよホームレス博士になっちゃうよ!という脅しともつかないような警告である。
 全体は3部構成で、最後は部というほどではないが、鈴木健介氏との対談になっている。前半の第1部で国の政策を批判して、博士課程を修了して博士号を取得したんだから、大学の先生にさせてくれ!と迫り、専任の大学の先生は物凄く楽で、収入は安定して良い思いをしていると告発している。ところが第2部では著者自身の極貧時代の生活ぶり、病気や困難と闘いながら、学び続けている人の話、そして、苦難も仏様が与えてくれたのだから、それを受け入れて生きましょうという呼びかけで終わる。さすが僧侶だけあって、思慮深いなあ。

 Falconは大学の専任の先生をしているけれど、なりたくて努力したわけではない。たまたま、なってしまった。図書館司書課程の先生が不足した時があって、沖縄へいってしまった。「島流し」にあったんだけれど、数年で縁あって、かつての学び舎に戻ってきた。
 だから、大学院を出て、大学の先生にどうしてもなりたいという人の気持ちがよくわからない。

 こうやって書くと、苦労知らずに生きてきたみたいだけれど、大学を卒業した後は、2年間、図書館関係のアルバイトをしながら、司書の資格を夏季の司書講習で取得して、2年目に虫垂炎を患い、手術した後、アルバイトの職場に戻ったら、腹膜炎をおこし、再入院して、父親にこっぴどく叱られて、「お前の苦しむ姿をこれ以上見たくないから、図書館の職員になるのをあきらめろ!」と病床で言われてしまった。両親が返って、病院の天井を眺めて、ふと、大学院へ行こうかなと思って、退院後、父親に内緒で願書を提出して、試験を受けたら受かってしまい、筑波へ行った。アルバイトで貯めたお金で引っ越し代金を支払い、家財道具を買いそろえて、わずかな奨学金で一人暮らしを始めた。大学院時代はアパート代だけは両親に甘えて、後は自分で何とかやっていた。昼食は毎日アパートに戻って、もやしとキャベツを入れたソース焼きそばを作って食べた時期もある。
 大学院2年目に国家公務員の試験を受けて、数十倍の難関を突破して、国立大学の図書館職員になれた。
 ちょうど冷戦が終わり、東欧革命が勃発し、日本では昭和の御代が終わり、新しい平成の御代に移り変わるころ、晴れて国家公務員になれた。これで、念願だった専任の図書館職員になれて、少しは楽な生活ができると思ったら、給与は手取り十万円にやっと届く程度、年収二百万円にもならない。当時と物価が違うと言ったって、バブル期の絶頂期からはじける寸前のころで、地方公務員の初任給は少なくとも1.3倍だったし、民間企業の初任給は1.5倍を上回っていた。ジュリアナ東京で扇子が舞っていた時代に、月収手取り十万円以下だった。そのうえ、先輩職員たちから、大学院を出て、図書館職員になるなんて、生意気だと、思い出したくないくらいのイジメを受けた。好きで図書館員になれたんだからと、自分を慰め、励まし、公務員として勤めた。その最中に、大学の先生にならないかと勧められた。惨めな生活に慣れてしまったので、大学の先生になる自信もなかったし、このまま「図書館のお兄さん」で終わりたいと思っていた。しかし、時の流れに押し出されるままに沖縄へ流れ着いてしまった。
 だから、「博士号取ったって年収二百万円以下なんだよ!どうしてくれるんだよ!」と訴えられても、「それが人生なんだよね」と言い返せる自信はある。

 専任の大学の先生になったから、楽になったかと言われても、実感が無い。大学の先生は講義の準備に物凄く時間がかかる。90分の講義でも、準備と後始末に3倍の時間がかかることも少なくない。楽して稼いでいるように見えるけど、仕事は仕事、それなりの苦労はある。自分の好きな学問だから、我慢してやってられるものと自分に言い聞かせいる。学生たちも一筋縄で行かないし、大学の校務、受験に関する業務など、専任教員も辛いよの一言に尽きる。
 それに、ときはデフレ不況の真っただ中、少しはお金の余裕ができても、品物のレベルが下がって、買う気がしない。遊べるような面白い場所も少ない。どこもシミッタレタ場所ばかり。

 博士号お持ちの皆さん、何の仕事でも楽な仕事はありません。
 自分に与えられた境遇を良しとして、生きるのがこの世の習いです。他人の芝生は良く見えるもの、大学なんて、見るは極楽、入るは地獄ですね。

02:02:43 | falcon | comments(0) | TrackBacks

October 13, 2010

『街場のメディア論』ちょっと

 内田樹著『街場のメディア論』を読みました。

 最初から3分の2までは納得できる点も多く、本書に出会えて、「ありがとう」と著者と出版者に感謝したい気になりました。理不尽な、「消費者」ぶった、「弱者」ぶった病院の患者、大学の学生を舌鋒で滅多切りしていますからね。
 あくまでも一部の学生ですが、講義で大切な説明をしているので、居眠りしているところを起こしてあげたら、「いちいち、居眠りぐらいで、注意するな!」と教務課へ訴えに行く、今度は居眠りしているのを放置したら、「大切な説明を聴き逃した。起こしてくれない先生が悪い」と教務課へ訴えに行くのがいます。処置なしです。その行動は、ほとんど病的と言っても過言ではない。
 ある女子大学では「同じことをしていても、私ばっかり、注意されるのは、セクハラだ!あの先生、私に気があるにちがいない」と騒ぎを起こして、非常勤講師を何人も辞めさせたと自慢している学生の立ち話を聴いたことがあります。仕舞には学生の言い分をそのまま保護者までが言いつけに大学へやってきます。
 こういう問題を内田氏には告発してほしい!

 本と著作権をめぐる問題になった途端、一気に疑問が湧きあがりました。

 内田氏は自著が大学の入学試験に活用されることは大歓迎と書いていますが、これは著作権法で著作権が制限されているので、本人が嬉しいかどうかは別の問題と考えてよいでしょう。
 作家とトラブルが生じるのは、入学試験の問題が予備校の問題集に掲載される場合、学習塾や予備校の独自の問題集に作品が無断で使用される場合です。

 内田氏は自分の著作が広く読まれるならば、著作権はどうでもいいと書いています。自分の考えたことが人に知られることは好ましいことであるとも書いています。
 内田氏は、著作権が「表現」を保護することに気が付いているのでしょうか。著作権法では「気持ち・思い」「考え・着想(アイデア)」「知識」「情報」は保護していません。「考え」が保護されてしまったら、教育は行えないし、「情報」が保護されてしまったら、報道機関は存在できません。著作権法で保護しているのは、創作的な表現です。表現の中に込められた「考え」「思い」は保護していません。

 内田氏は、著作権という財産権、それを取り巻く経済的、あるいはビジネス・システムよりも、「ありがとう」と思う気持ち、著者への敬意を大切にしたいと述べていますが、著作権の本質的な論議になっていません。人類の文化的な所産である著作物を経済的な価値で測って財産権=著作権で保障するするなんて、おかしい!と批判する内田氏の気持ちは理解したいと思いますが、職業作家の人たちは著作物を生み出すために、霞を食って生きているわけじゃないので、著作物に対する対価を読者である私たちが支払うのは当然でしょう。
 以前、ベストセラー作家のA氏が、ファンサイトに「古本屋で見つけて買いました」と書き込んだファンに向かって、「古本屋で買って読むなんて、許せない!本屋で買え!」とか書き込んで、ファンたちから顰蹙を買ったことがありました。たしかに大人げない発言で、嘘でもいいから「古本屋で見つけてくれて、ありがとう。大切に読んでくださったのですね」ぐらいのことを書けば、ますます人気が出たと思います。さすがのA氏でも「図書館でタダで借りて読むな」とまでは書けなかったでしょう。しかしながら、A氏の気持ちもわからなくない。たとえ、わずかな著作権料でも得たいという気持ちは、職業作家なら当然ですよ。

 内田氏は大学の先生と言う本業があるから、著作権にこだわる気がしれないと書けるのですよ。Falconも内田氏と似たり寄ったりの存在ですから、本業があるので、自分の著作が知られるならば、わずかな著作権料は頂かなくてもいいかなと思います。でも、本音はせっかくだから、頂けるなら頂きたい、それで喫茶店でコーヒーの一杯が飲めそうだ、出張先のレストランで美味しいものは食べてみたいと思いを巡らします。著作権料で生きているわけではないので、必死になりませんけど。

 でね、内田氏にはマスメディアで話題になっている著作権問題を表面的に捉えないで、深層まで学んでほしいなと思います。そのうえで鋭く論点に切り込んでほしいと思います。


02:14:05 | falcon | comments(0) | TrackBacks

October 10, 2010

今、北海道にいます

 今、北海道にいます。

 今年は、本当によく、旅をしました。

00:52:49 | falcon | comments(2) | TrackBacks

October 09, 2010

図書館学の研究に再現性はあるのか

 突然、「再現性」と聞いて、何のことだか、わかりますか?

 物理、化学の世界で、一定の条件の元で実験を行った場合、必ずといっていいくらい同じ結果が得られることです。誰が行っても、どこで、いつ行っても、同じ結果が得られることです。

 稲葉振一郎著『社会学入門:<多元化する時代>をどう捉えるか』(NHKブックス)をしばらく前に読んでいました。
 社会学は幅広く「社会一般」のことを扱う学問ですが、一見捉えどころのないように見えて、ある程度、視点がはっきりしている。伝統的に、あるいは、ある一定期間、決まりきった考え方、「定型」として筋が通った見かたがされていることを、転覆して、つまり、ひっくり返してみる、面白い、興味深い考え方をする学問です。女性問題、ホームレスの問題、犯罪の問題、自殺の問題、衣装の変化、モードの問題、はてはオタク学だって守備範囲になってしまう。就職できない、したくなくて、とりあえず大学院に入ってしまって、研究するテーマが見つからず、指導教官に泣きついて、テーマをもらうには、うってつけの学問といえます。そして、うまくすれば、メディア、つまり新聞、雑誌、テレビが注目してくれると、一躍、時の人になれる、大学の先生にもなれる、結構、おいしい学問です。冷静になって、考えれば、社会のことを扱っていながら、社会への貢献度の低い研究テーマが多い分野です。

 稲葉氏の著書を読んでいて、図書館学、格式ばって言えば、図書館情報学は、社会学の一分野と言っていいくらい、一致することが多いと思いました。
 稲葉氏は著書の中で、社会学で扱う事象は再現性が低いと「言って」います。(「書いて」と書かずに、「言って」と書いたのは、稲葉氏のこの著書が、大学の講義で話したことを採録して加筆しているからです。養老孟司氏の『バカの壁』にしても、内田樹氏の著作にしても、口述筆記に近い著作が多い)社会学で扱う事象が、条件を整えて、実験できないからです。図書館学でも、同様です。

 特に学校図書館に関する研究発表、実践発表は、再現性が低い。実践者の優れた実践を真似しようにも、異なった状況では無理で、意地悪な見方をすれば、実践を得意げに自慢しているだけに過ぎないものが多い。その上、理論がない。この点は稲葉氏が指摘する社会学の問題点と一致します。
 その中でも、特に読書に関しては、実証できないことを、みんなで納得している場合が多い。「読書が人生を豊かにする」「読書が感性・感受性を鋭くする」「読書が人間性を豊かにする」。まず、「人生を豊かにする」って、どうやって証明すればよいのでしょうか。豊かな人生って、何でしょうか。Falconのように、何の取り柄のない者が一応、勝ち組になって、何とか生きている、しかも、波乱万丈な経歴が隠されている、こんなのが「豊かな人生」と言えるでしょうか。人が思い描く「豊かな人生」を実証的に評価することはできません。「人生いろいろ」ですもんね。「感性・感受性」も、あいまいな定義で、評価ができない。「人間性」って、何でしょう。ルネサンスの時代なら、キリスト教、カトリックが規定する「神」に対する対立軸として、ユマニスム、ヒューマニズムがありました。ナチスのホロコーストでのユダヤ人虐殺、ベトナム戦争の時のアジア人への非道、人を人として扱ってもらえない状況下では、人間性の意味が明確になりますが、何の前触れもなく、いきなり「人間性が豊かになります」と言われても、困りますね。
 「読書が想像力を高める」想像力って、簡単に評価できませんね。個別の問題で、想像力だって、いろいろあるのよ、ですからね。

 図書館学で、誰もが納得できる、しかも社会に貢献度の高いこと、それって、無いものねだりなのかもしれません。
 そんなことを模索しています。
 物理、化学の実験のように、再現性のある事象を解明する、切れ味のいい理論って、無いのでしょうか。

 稲葉氏の著作は、社会学への、ほのかな愛惜と未練を感じる、名著です。巻末の文献リストは、ますます読書意欲を掻き立てられます。

23:33:13 | falcon | comments(1) | TrackBacks

October 03, 2010

豪州ブリスベンの図書館

 昨日、オーストラリア・ブリスベンから戻ってきました。

 オーストラリア第3の都市、ブリスベンは活気のある町です。

 ちょうど春になったばかりで、気温は日本とほぼ同じです。夜は摂氏15度と冷え込みますが、昼間は摂氏23度くらいまで上昇します。

 ブリスベンは蛇行するブリスベン川の両岸に広がっています。両岸を結ぶのがビクトリア橋です。この橋の北側のたもとにブリスベン市立図書館があり、橋の南側サウスバンクに博物館と美術館があり、その文化センターのつづきにクイーンズランド州立図書館があります。市立図書館は一般利用者へサービスして、州立図書館はレファレンスサービスと調査研究サービスを中心に行っています。

 ブリスベン市立図書館は非常に機能的な図書館です。
 多文化サービスとして、日本語の本、韓国語の本、中国語の本がありました。日本語の本は文庫本が多く、閲覧書架には多く見積もっても400冊くらいだったかな。なんと、中国語訳(繁体字)の『図書館内乱』と『図書館危機』がありました。中国語でも「砂川」ってありました。

 州立図書館も建築、設備が素晴らしい図書館です。
 驚いたのは、楽譜のコレクションが膨大にありました。
 クイーンズランド州立図書館のコレクションに関する本を買ってきましたので、いずれわかったことをお知らせします。

 この2つの図書館を見学できただけで幸せでした。

13:58:22 | falcon | comments(0) | TrackBacks