January 18, 2010

ペーパー・クリップス

 先週と今週の『松嶋×町山 未公開映画を観るTV』は、テネシー州のホウィットウェルという町の中学校で行われた「ペーパー・クリップス」プロジェクトに関するドキュメンタリー映画だった。

 アメリカ合衆国南部のテネシー州の田舎町の中学校で、ナチスによるホロコーストで虐殺されたユダヤ人について学ぶ授業が校長たちの主導で始まった。虐殺された600万人にも及ぶユダヤ人の数を実感するためにクリップ(ノルウェー人が作り始めたらしいとも言われているが、真実は定かでない)を集める活動に発展する。やがて、ホロコーストで生き残ったユダヤの人々を招いての講演会を開き、ドイツからユダヤ人を収容所へ運んだ貨車を学校の敷地に持ってきて、記念館まで作ることになる。

 ある意味、実に感動的なドキュメンタリー映画なのだが、日本人なら何となく腑に落ちない気がする。
 アメリカ合衆国は第二次世界大戦のときドイツと敵対して、収容所のユダヤ人を解放した。加害者はドイツであり、被害者のユダヤ人を救済したのはアメリカ合衆国である。だからこそ、このプロジェクトを行ったのであろう。
 もし、広島・長崎の原爆で亡くなった人、被害を受けた人について学ぶ授業をアメリカの学校が行ったというのであれば、我々日本人としては実に感慨深い。しかしながら、加害者であるアメリカ合衆国で、どこかの学校でしているかもしれないが、ここまで「感動的」にならないであろう。きっと「パールハーバーの仕返しだ」「原爆が無ければ、戦争は終結できなかった」という論点が強調されるに違いない。

 プロジェクトに関わった先生たち、生徒たち、地域の人たち、当事者たちは、本当に素晴らしいことをしたと思う。
 できたらば、今度は原爆、ベトナム戦争、イラク戦争によって被害を受けた人たちを考える授業をアメリカで行う機会があると良いと思う。ホロコーストとは違った切り口になると思う。

 年末年始、NHK教育で、日本と朝鮮の歴史に関する番組の再放送を見た。連続している番組で、ときどき見ていたのだけれども、秀吉の朝鮮出兵の回は見のがしていた。
 秀吉の朝鮮出兵は、歴史の時間に習うけれども、実際どのような戦争だったのか、教科書では詳しく学べない。朝鮮・韓国の人に想像以上の被害を与えたことが番組で判り、いままで知らなかったことを大変恥じた。タレントの大桃美代子さんが取材をして、今も各地に残る爪痕・傷跡を紹介していた。NHK教育の番組で、深夜に放送するので、地味で目立たないが、多くの人に知ってもらいたいと思った。私たちは知らないことが多すぎると痛感した。

00:22:25 | falcon | comments(1) | TrackBacks

January 16, 2010

【悪女】の読書論

 有吉佐和子著『悪女について』には、子どもの読書についての考えが述べられている個所がある。
 富小路公子の長男・鈴木義彦の語る証言にその一節はある。
 
 「母は、また、本をよく買ってくれました。それが、童話が多いのです。」
 「僕は子供の頃から童話は好きじゃありませんでした。大人が書いた童話には子供を舐めてかかっているようなものが多いのが気に喰わなかったのですよ。子供は、自分が大人と同じに遇されるのを望んでいるものじゃないでしょうか。」

 公子の長男・鈴木義彦が母親の買ってくる本に満足しないと意見を表明すると、公子は息子の成長ぶりを喜んで「世界文学全集」「日本文学全集」を買い与える。しかしながら、長男・義男は理系に進み、東京大学に合格する。

 義男に語らせている読書論は、有吉佐和子氏自身の子どもに対する読書論であろう。長編小説の中のわずか3ページであるが、意味深長な言説である。
 公立図書館、学校図書館に、読書好きのおばさんボランティアが押し掛けてくる。子どものためにと、躍起になって、童話・児童文学を押し付ける。子どもの気持ちも考えないで、読書を押し付けても意味が無い。読書好きのおばさんたちの勘違いには呆れ果てる。本当に読書を知っている人はボランティアをするはずがない。子供たち自身が読みたい本を知っている。

22:41:14 | falcon | comments(0) | TrackBacks

January 15, 2010

『悪女について』

 まだ、読んでいます『悪女について』。

 実はドラマを見ていましたが、小説は読んでいませんでした。
 読み始めたら、これがやめられません。
 ドラマで、あの俳優、あの女優が語っている姿を思い出すと、すらすらと読めてしまう。あの女優さんに、こんな役柄で、こんなセリフを言わせていたのかと思うと驚きます。
 昨年亡くなった森繁久弥さんを始め、江利チエミさん、緒方拳さん、杉村春子さん、沢村貞子さんと、もう演技が見られない人たちも多く、再放送してもらえないかと思います。
 あの当時、ドラマは半年くらい続いたんですね。今は大学の講義みたいに3ケ月12回のワンクルーが多くなりましたけど。

 あのドラマのオープニングは、クリムトの絵でしたね。
 クリムトの絵を知ったのは、あのドラマからでした。

 この小説、太平洋戦争後の混乱期のことが描かれています。1970年代の後半と言えば、日本はすっかり復興して、戦争の傷跡など感じられない時代でしたけど、人々の記憶には深く刻まれていたんですね。時間感覚で考えると、今から昭和時代を振り返るのと同じくらいです。Falconは勿論「戦争を知らない子供たち」の世代ですけど、20年くらい前のことはつい昨日のことのように思い出します。当時の人たちにとっては、戦争は生々しい記憶として残っていたんですね。作者が「有」で始まるので、ついつい戦争のことが気になってしまって。えっ、滅相もありません。あの人が「悪女」だなんて。
 いやいや、悪女というのは、富小路公子のように素振りを見せないで、恐ろしいことをやらかすんですね。騒ぎ立てて、悪事をやらかすのは、本物の悪女とはいえません。

 夏目漱石の『彼岸過迄』が「〜の話」という登場人物の独白でつづられています。おそらく、漱石先生のことだから、英国文学の作品の影響を色濃く受けているのでしょうけど、その手法が連綿と続いているのですね。そういえば、主人公が須永市蔵といって、「須永の話」という長い章がありましたね。

13:49:45 | falcon | comments(0) | TrackBacks

January 12, 2010

『悪人』について

 年末年始、思っていたよりも、読書ができた。
 吉田修一著『悪人』(朝日文庫)を正月に一気に読んだ。
 この季節、年末年始に読むと臨場感が湧く。ちょうど12月から1月にかけて、起こった出来事がつづられているからだ。登場人物たちと一緒に寒さが実感できる。夏に読むと、冬に放送されたテレビドラマで厚手のセーターを着込んだ俳優たちの演技を、汗をかきながら見るようなものになる。体感できる読書である。

 ストーリーを書くとこれから読む人の興味を半減させるから、あまり書きたくない。

 舞台となるのは、九州地方の福岡県、佐賀県、長崎県で、長崎出身の作家が書いているので、登場人物の会話で九州弁を多用している。
 九州には友人が何人かいる。なので、九州弁を理解するのに苦はなかった。尤も長崎弁、大分弁は標準語にアクセントが近いので、方言があまり気にならない。
 大分の友人の話し方は、性格にもよるのかもしれないが、おっとりしていて、柔らかい口調だった。
 東京人の偏見かもしれないが、九州でも、熊本県、鹿児島県、佐賀県出身の人の話し方はちーとキツク感じる。武家の流れを汲むことを誇る人は特にその傾向が強いと思う。小学校高学年の時の女の先生が佐賀県出身で、やたらと厳しかった。あまり厳しいので学級会の時に級友たちと図って「先生のスパルタ教育にはついていけない」と盾を突いて糾弾したことがある。思えば、あの頃から「学級崩壊」があったんだなあと思う。先生なりにFalconの態度には手を焼いていたのだろうけど。

 『悪人』は登場人物が微妙に関係しあって、それぞれの視点で、起こった事件のこと、容疑者についてを語ってゆく。視点が次々に代わるので、初めは読みづらかったけど、慣れてくるとテンポのよいリズムになってくる。
 この手法、いろいろな小説で取り入れられているから、今では目新しい気がしないけど、似ているなあと思い出したのが有吉佐和子著『悪女について』だった。
 週刊誌に連載しながら、テレビドラマが同時進行するという、当時としては画期的なメディアミックスの手法だった。
 富小路公子という女性の謎の死をめぐって、20人以上の人物が証言を繰り返していくドラマだった。死の真相が暴かれるだけでなく、一人の人間の多様な性格・側面を描く点で、ある意味、不気味な怖さがあった。主演は劇団四季の女優だった影万里江さんで、ドラマの後、しばらくして脳腫瘍で亡くなった。証言をする共演者は豪華キャストだった。しかも、演ずる俳優の性格付けに沿って、ドラマが描かれている。
 『悪人』と『悪女について』、タイトルも奇妙に似ている。

18:18:47 | falcon | comments(0) | TrackBacks