October 31, 2013

アメリカの大学図書館職員は違う!

 今日はハロウィンですけど、図書館総合展へ行ってきました。

 「ハロウィンと図書館総合展って、全く関係ないじゃん!」

 そうですね。それは、さておき、アメリカの大学図書館職員の方の話を聞いたのですが、イェール大学の図書館員の方はMBAを持っているし、経営管理学の博士号もあるそうです。ユタ大学の図書館職員の方も様々な経歴があり、勿論、図書館情報学の修士号はあるそうです。

 アメリカの大学図書館職員でも、Librarianは大学教員に匹敵する資格を持っています。Assistant librarianは事務職員に近い存在です。そういえば、昨年、IFLA(国際図書館連盟)フィンランド・ヘルシンキ大会で訪れたヘルシンキ大学図書館のセミナーで説明していた大学図書館職員の方も大学教員の肩書がありました。
 でね、海外では大学図書館職員が大学教員と連携して、ゼミを行ったり、講義の進め方を話し合ったりするんです。日本では小学校から大学まで、ほとんど講義形式ですが、海外の大学では講義はしますが、レポートや論文を課題として課せられます。そのため図書館を使わないことは、ありえません。つまり図書館を使うのが当たり前です。
 ところが日本の大学の授業は一方的な講義が多く、図書館は必要ありません。その上、図書館にある蔵書のほとんどが研究室のお下がり、言いかえれば、教員が読み捨てた本のごみ捨て場に近い。本当にエキサイティングな魅力的な専門書・研究書や情報は研究室にあり、図書館には退役軍人みたいな本ばかりです。

 「ええ、《退役軍人》?! 図書館戦争っぽいねえ」

 ああ、そこに反応しないでください。
 話を日本の大学図書館職員に移します。
 日本の大学図書館職員は「司書」ではありません。

 「ええ、どうして?!」

 司書とは図書館法に規定された公共図書館の専門職員であり、国立国会図書館、学校図書館、大学図書館、専門図書館の職員は、図書館員、あるいは図書館職員であって、「司書」ではありません。

 「司書教諭や、今、法制化されそうな《学校司書》はどうなのよ」

 司書教諭は学校図書館法に規定された教員の資格ですよね。学校司書は、まだ法制化されていないし、現状では便宜的な存在です。
 ああ、また話がそれた。

 日本の大学図書館職員はあくまでも事務職であり、アメリカの大学図書館職員のように教員と肩を並べることはできません。蔵書構成についても積極的に関われないし、学生にレポートの書き方まで指導できないし、まして授業に乗りこんで「乗っ取り」、クラス・ジャックなってありえません。
 それにアメリカの大学図書館って、独立した経営が行える場合があり、大学図書館として寄付を募ることができます。日本の大学は寄付行為に関してはさまざまな法規制があり、私立大学ですら自主的な規制があり、思うままに財政措置ができません。
 どんなに優れた活動を示してもらっても、日本の大学図書館は指をくわえて見るしかないのが実情です。
 日本の大学図書館にも、教員と比肩するような図書館職員がいてほしい。そんな思いを強く感じました。

 面白かったのは、イェール大学のような優秀校とユタ大学のようなその他大勢の大学、つまり「富士の高嶺」大学と「京都先斗町」大学には格差があることがパネルディスカッションで露呈したことです。アメリカの大学図書館と言っても、一括りにできない悩みが横たわっているのです。

 話がガラッと変わりますが、学校図書館では、やはり司書教諭が専任でなくても良いから、授業時間の軽減措置をしてもらって、学校の授業と図書館の利用を連携しなければならないと思います。
 それから、小学校から大学までの授業そのものも変える必要があるのでしょう。授業が変わらなければ、図書館のあり方も変わりません。これだけは断言できます。

18:45:12 | falcon | comments(0) | TrackBacks