June 26, 2013

ラリー・フリント:表現の自由

 昨日、深夜番組で映画『ラリー・フリント』を録画して、夕方、帰宅してから、見始めて、期待以上だったので、じっくり見てしまった。以前から、見のがしていたので残念に思っていた。

 ラリー・フリントとは、アメリカの雑誌編集者・実業家で、男性向けポルノ雑誌『ハスラー』を創刊したことで知られる。
 なので、はじめはエッチなことを期待してしまった。気楽に娯楽作品として見られると思い込んでいた。

 ところが、監督はチェコ出身のミロス・フォアマンで、『カッコウの巣の上で』『アマデウス』などの問題作、大作を手掛けてきた監督である。娯楽作品どころか、社会問題をえぐりだす、ドキュメンタリー風の伝記映画だった。
 監督のこだわりの映像美も楽しめる。ラリー・フリントの妻が服用する薬物のカプセルが色とりどりなのは、単調な色合いにしたくなかったのだろう。

 主演はウディ・ハレルソン。甘い顔立ちのイケメン俳優だけど、これといって印象に残る人ではなかった。
 しかし、『ラリー・フリント』の演技は、凄い。脚本もそれなりに凄いのだろうけど、彼の演技力で盛り上げている。

 テーマはポルノと表現の自由をめぐるアメリカ社会の思想対立である。ポルノと宗教、戦争、社会規範が対比されて、期待していたエッチな娯楽作品でなかった。場面のほとんどが法廷での論戦であり、弁護士役はエドワード・ノートンで、主役と競っている。

 これこそが、国家と個人の検閲をめぐる闘争である。
 深く考えさせられた。

00:57:27 | falcon | comments(0) | TrackBacks

June 22, 2013

物は考えよう

 人生の処世術として、「悪く考えないで、良いほうに考えたほうがいい」とよく言われる。

 そのように説得される時って、「悪く考えるな!」と言われても、「悪く考えるから、苦しいんだよね。。。」って、ぼやきたくなる。初めっから「良いほうに考えられるんだったら、苦しまないさっ!」って言いたくなる。

 とってもエリートな人と付き合うことが多くなり、プレッシャーを感じてしまう。その人たちって、常に上から目線で、何かというと理路整然におっしゃるので、庶民的でガサツなFalconには「太刀打ち」できない。会うたびに、癪に障る、落ち込むの連続である。

 でもね、最近、悪く受け取らないようにしている。所詮、エリート意識の強い人って、本人も自覚しないうちに、そういう態度になっているから、どうしようもない。
 なので、Falcon自身がプレッシャーを吸収して、手ぬかりなく立ち回るように努力すれば良いんだという気になってきた。
 周りの人の態度は受け流して、自分自身が今、何をすれば良いのかを集中的に考えるようにしている。
 プライドだけで生きているような人間は、他に取り柄が無いんだからね。
 Falconにはプライドが無い。それだからこそ、自分のやりたいことを見つけて、生きてきた。
 要するに、気に障るような態度をされても、それに固執しないで、自分への励ましと思うようにしている。

 人間って、不思議なもので、もがき苦しんでいる時のほうが、自分を実感できるんだよね。
 物わかり良く、良いほうに考えられるようになると、自分でないような気がする。

 ああ、Falconって、貧乏性なんだなあと思ってしまう。
 これが今日の結論。

01:34:49 | falcon | comments(0) | TrackBacks

June 14, 2013

大学の残念な授業!?



 『なぜ日本の大学生は世界でいちばん勉強しないのか?』

 直球勝負のタイトルで、ものすごく面白かったので紹介します。

 大学関係者にとって切実な問題を取り上げてくれました。

 遅読のFalconですが、通勤の電車の中で読みふけり、往復する間に読めました。これならば、速読できます。論点が明確に示されて。その論点が繰り返し述べられて、論証していくので、読むのに苦は感じません。欲を言えば、もう少し論点を深めてほしかったと思います。

 批判的に読み進めて、指摘したい点が1つあり、論じられていない点で補足したい点が1つあります。

 39〜40ページに太字で「あくまでも推測になりますが、いわゆる有名校でもこの有様ですから、日本全国の大学でどれほど残念な授業が行われているか、想像を絶するものがあります。」と著者は述べています。たしかに「推測」と断っているので、著者は逃げる余地も残しているのですが、東京周辺の9大学での聞き取り調査だけで、日本の全国の大学は「残念な授業が行われている」惨憺たる状況と決めつけるのは酷い推論です。
 実はこれまでFalconは有名大学、つまり御座敷小唄で言えば富士の高嶺に降る雪のような大学から、京都先斗町に降る雪のような大学まで数大学の非常勤講師をしてきました。現在していない大学もありますが、正直言って、有名大学ほど「残念な講義」が多いと言えます。逆に「先斗町大学」のほうに研究も教育も最高レベルの先生がいます。
 それは何故か?
 有名大学の先生は、ある意味、終の棲家を見つけたようなもので、出世鉄道の終着駅に着いたも同然で、学生たちにわかりやすく、考える授業をする気があまりありません。K大学、W大学で教えるのは本望達成なんです。一方、「先斗町大学」には業績を上げて、K大学やW大学のような「富士の高嶺大学」で教えたいと願っています。物わかりのよろしくない大学生に懸命に教えています。だから物凄くわかりやすい、池上彰さんレベルの説明力を持っている人がいます。(だから、大学院修了したばかりの、大学教員志望の人は、いきなり有名大学の非常勤を狙うのは絶対にやめたほうがいい。自分を磨くのならば「先斗町大学」のほうが質の良い苦労ができる。)
 よって、著者は推論という不確かなことを開陳する必要はなかったと思います。「東京周辺の有名9大学について調べました」で十分でした。本当に有名大学ほど、残念な授業が多いのです。

 それから、海外の大学、特にアメリカの有名大学のように「(学生が)考える授業」をするにはどうしたらよいかという方策について、歯切れの悪い説明をしていました。
 はっきり言いましょう。「考える授業」を行うなら、図書館の文献やインターネットの情報を駆使して、とことん学生たちに読ませて考えさせればよいのです。つまりは情報活用学習の必要性を著者は述べるべきでした。ところが、著者は一言も図書館に触れていない。これこそ、残念です。

 しかしながら、著者の思いを推察して、譲歩すると、大学入学前の高等学校、中学校、小学校での学校図書館での読書指導が、「考える読書」ではなく、「感じる読書」「思う読書」であり、大学での学習につながるものではないということが根底にあると思います。日本の読書指導は子どもたちが喜んだり、悲しんだり、面白がったりすることを期待しているだけで、考える読書はどちらかといえば、ついでにやることが多い。それに読書活動は学校司書やボランティアにお任せしているから、教育的配慮に欠けた指導になっている。

 長くなりましたが、日本の大学教育を変えるなら、学校図書館、大学図書館のあり方を根こそぎ変えなければなりません。

00:35:15 | falcon | comments(0) | TrackBacks

June 10, 2013

映画『図書館戦争』観たよ!

 4月下旬から上映されていたので、もう見られないかと思っていました、映画『図書館戦争』。東京の立川の映画館で観ました。立川は『図書館戦争』の舞台の一つですから、臨場感がありました。
 Falconが子ども時代を過ごした思い出の地です。立川は。
 Falconが子どものころ、立川基地がありました。ベトナム戦争の戦場でバラバラになった遺体を処理した施設があったとも言われています。戦争がまだ身近にあった時代に育ったので、平和の尊さを「軟弱」「社会主義」となじられても、迫害されても訴えたいですね。(平和を訴えて、迫害されるのが、倫理にそむくけど)

 正直な感想を言いましょう。
 映画で納得の行った点がありました。「見計らい権限」というのも、小説を読んで以来、ずーっと違和感がありましたが、玄田のセリフで納得しました。
 「日野の悪夢」の経緯もなんとか辻褄が合ったと思います。
 観客が納得のいくように作り上げたため、ラブコメの要素が薄まっていましたね。

 アクションシーンはスタント・パーソンが代役をしていましたね。そこまで見抜くのは意地悪かなあ。

 図書館の利用者が「戦争ごっこにつき合わせるなんて!」というセリフをいっていたような気がしましたが、空耳かなあ?もし、言っていたとしたら、監督・脚本家は鋭いツッコミを入れましたね。

 図書館を燃やしたり、図書館の敷地内で銃を発砲するなって、まあっ、空想や妄想のなかで許されることですね。仕方ない、それはそれで、見なかったことにしました。生々しいシーンの連続で、うっかりすればR指定ですね。R指定になれば、作者の思う壺かもしれません。

 國學院大學が最後のエンドロールにありましたが、どこのシーンを撮影したのでしょうね。撮影秘話によれば、最初は「日野の悪夢」の、図書館の閲覧室がメディア良化隊に放火される個所だったらしいのですが、大学図書館が断ったので、別のシーンになったそうです。映画を見た限り、それらしいシーンが無かったようですね。それとも、続編で使うのでしょうか?

 「正義」も「自由」もイラク戦争以来、通用しなくなりました。これらを掲げて、アメリカにつき従え!と言う、知識人とか、評論家の類の発言に誰も耳を貸しません。「正義」は薄汚い、血に塗られた戦争の口実となってしまいました。日常生活でも、「正義」を掲げれば、喧嘩の口実です。
 「自由」が輝かしい意味を持っていたのは、18世紀から19世紀前半のヨーロッパ、そう、『レ・ミゼラブル』の背景となっていた時代ですね。
 「自由主義」を押し付けるための戦争や紛争はもうコリゴリです。

00:55:57 | falcon | comments(0) | TrackBacks

June 05, 2013

映画『レ・ミゼラブル』

 仕事を終えて、新宿の高島屋で開催されていました「大学はおいしい」という催し物に行ってきました。
 買っていたらきりがありません。物欲の塊になって、あっという間に荷物の山でした。慶応義塾大学の幟(のぼり)のコーナーで、赤城牛のカレー(辛口)を3個買い、千葉大学のコーナーでソーセージを買い、信州大学のコーナーではリンゴジャムと次から次へと買いまくりました。

 そして、京王線で下高井戸駅へ行き、下高井戸シネマで『レ・ミゼラブル』を観てきました。わかってはいたものの、最初、登場人物たちがいきなり歌い始めたので、違和感を感じました。ミュージカルを映画化したのですから、当然です。
 敵役のラッセル・クロウが歌いだしたのには、違和感増大です。あの顔でえぇー、です。なんか似つかわしくない。グラデュエータ(剣闘士)なら許せたけどねえ。

 フランスの話なのに、何で、英語話すのぉ?ですよね。
 まあ、仕方ない。ロンドンのミュージカルで大ヒットしたのですから。

 でもね、それなりに楽しめました。

 はじめてロンドンに行ったときに見たミュージカルが『レ・ミゼラブル』でした。いまでも英語が苦手ですが、あの頃は全然わからず、あらすじを思い浮かべて、舞台を眺めていました。レスタ・スクエアのダフ屋の兄ちゃんから買ったアポロシアターのチケットでした。座席は天井桟敷のような最上階の最も舞台に近いバルコニー席、下を見るとめまいがしそうなくらい高かったのを憶えています。考えてみれば、貧しかったけど、夢も希望もあった20代のころです。

 その後、ロンドンへ行くたびに、ミュージカルを観ました。『キャッツ』『ミス・サイゴン』『マルタン・ゲールの帰還』『ジーザス・クライスト・スーパースター』など。心の残りが『オペラ座の怪人』を観なかったことです。残念!

 チケットは劇場で買うこともありました。結構、問題なく買えましたね。チケットを買うときは、こんなに英語がうまかったけっ?と自問自答しながら、買っていましたね。人格が変わってしまったみたいに。今から思うと不思議です。
 別に英語のテストじゃないですから、相手がわかって、うまく生活できればいいんですよ。外国語なんて、そんなもんです。眉間にしわ寄せて勉強したって身につきません。適当にやっていれば良いんです。適当に。

 あれ?、『レ・ミゼラブル』の話をしようとしたら、いつの間にか、英語の勉強の話になってしまいました。

 『レ・ミゼラブル』のはなしは、あとで。


00:37:09 | falcon | comments(0) | TrackBacks