June 27, 2012

日本初の学校図書館 in 京都

 先日、京都を訪れた日、土曜日は雨でした。午後は本降りの雨でした。

 午前中、時間があったので、ホテルの近くで雨宿りしながら、見学できるところが無いかなあ〜と思って、宿泊したホテルのロビーに置いてあったチラシを見て、京都市学校歴史博物館を見学しました。

 誰もが感動する保証はありませんが、Falconにとって大満足でした。

 京都では、明治5年(1872)に「学制」が公布される前、明治2年(1869)、地区ごとに「番組小学校」を64校つくったそうです。当時の小学校には、地域の公的機関を併設していて、消防署の機能もあり、火の見櫓があったそうです。

 京都の学校に関する様々な歴史資料がありましたが、なかでも最も関心を持ったのが、学校図書館に関する展示です。膨大な展示物の中にわずかでしたが、Falconにはこれだけで見学の価値がありました。

 明治時代の終わりごろ、生祥・修道尋常小学校の2校に「児童文庫」が設置されて、大正7年(1918)には京都全市75小学校のうち45校に「児童文庫」が設置されたそうです。
 図書だけでなく、新聞も活用されたようです。
 新聞を活用した授業の光景を写した写真が展示されていました。
 今、学校教育での新聞の活用(NIE=Newspaper in Education)が注目を集めています。今年度、地方交付税措置で公立義務教育諸学校(公立の小学校、中学校、特別支援学校の小学部、中学部)に新聞を購読する経費が付きました。
 おそらく京都の小学校での新聞を活用した授業は大正時代であったと思います。先進的な活動が既にあったのですね。

 新聞の活用を「先進的な活動」と述べましたが、一歩引き下がって考えてみると、ラジオ(日本のラジオ放送開始は大正末年)も、テレビもインターネットもなかった時代に、新聞は最新の情報を伝える唯一のメディアでした。だからこそ、学校で学ぶ意義があったと思います。

 明治時代から大正時代には、優れた教育の実践活動がありました。それが断絶したのは、太平洋戦争があったためです。戦争は人の命を奪うだけでなく、人々の日常の生活、文化、教育の何もかも奪います。どんなことがあっても、戦争を起こしてはいけません。

 「児童文庫」といっても、児童の保護者にも利用を促していて、地域の大人も使える図書館だったようです。


20:06:58 | falcon | comments(0) | TrackBacks