December 09, 2012

資格は死角にあって、刺客に悩まされる

 12月8日、東京から大阪へ飛んだ。Falconはこのくらいの距離は飛べる。
 で、図書館職員の認定制度と検定試験についての集会だった。

 日本は「資格社会」と言われているが、資格の数が多いのに、社会で役に立つ資格がほとんどない。まさに社会の「死角」にある。その中でも、文系の大学に設定されている「社会教育主事」「博物館学芸員」「図書館司書」は、果たして資格として機能しているのか、怪しい。

 実はもっと深刻な問題が潜んでいる。『学歴社会』と言われて久しいが、公務員試験では学歴が全く無視されてきたことが、どんだけ〜え、知られているだろう。少なくとも、国家公務員試験では平成23年度の試験までは、学歴はあくまでも目安であって、年齢制限があるだけで、高校卒業であっても、いわゆる上級職試験、つまりキャリア組、霞が関の官僚候補を採用するI種試験を受験して、知識と能力があればこれまでは合格できた。平成24年度からは大学院卒業、大学卒業、高校卒業と学歴による採用枠が設定された。当然といえば当然で、こうしなければ、学校で学ぶ意味が無い。
 これまで公務員試験の受験要件で学歴は問わないのに、組織に入ると、異常なほどに学歴、大学卒ならば、それも大学名で「差別される」。東大、京大は七難隠す。とはいえ、東大と京大出身者の間では、学部などで差をつける。慶大、早大、同志社大、立命館大など、有名私立大学なら、浮かぶ瀬もあるが、それ以外は「差別される」どころか、「迫害」「いじめ」の対象でしかない。
 つまり、今までは真の『学歴社会』ではなく、本質的には「大学名で序列化された社会」であった。学校で学んだことを社会で認めることが、本当の『学歴社会』である。

 図書館司書の資格は、短大卒でも取得できる。だから、大学の課程で司書資格を取っても、短大卒と同様の扱いである。無論、大学院修了であっても、司書資格は短大卒と同じであるという、学歴と資格が矛盾した関係にある。
 同じことは司書教諭の資格でも言える。司書教諭資格は短大卒でも取得できる。司書教諭は短大卒と同じ扱いである。
 そのため、司書は正規職員として採用されても、実質、中級職員であり、採用時の給与査定、その後の昇進の過程は、短大卒と同等である。「学歴」がどんなに高くても、「大学名」がどんなに高名でも、司書も司書教諭も、短大卒であり、言いかえれば、学歴はリセットされて、デフォルト値が短大卒になる。

 世間一般の人は「図書館司書は学歴もあり、知識と教養が豊かな人」と思うだろうが、実情はちがう。

 日本は『学歴社会』と言っても、根底は1950〜60年代の状況がいまだに続いていて、現状に追いついていない。それどころか、「資格社会」は、制度疲労を起こしていて、崩壊寸前であり、危険な状態であり、社会基盤の一つであるはずの図書館は、貧しい善意の第3極によって悩まされている。
 

02:27:50 | falcon | comments(0) | TrackBacks