September 26, 2012
電子書籍で不死身のサイボーグの夢を見る
酒井邦嘉氏の『脳を創る読書』を読んでいた。
とても興味深かったので、スイスイ読めた。しかしながら、紙の本と電子書籍の凄まじい対決が見られるのかと期待して読み始めたのだが、意外と穏やかな論調で、まあ納得できた。期待外れではなく、期待にすり寄ってくる内容と言ったほうが良いかもしれない。
脳科学による説明もなるほどなあと思ったけれども、文字を読むことで想像力が生み出されて、鍛えられるのかが明確にわからなかった。とりあえず、文字を読むというのは、視覚野に入った情報が一度、音声情報に置き換えられて、聴覚野へ送られて、言語野で分析されて理解されるという流れも納得できるのだけれども、そこからどうやって、想像力が生み出されるのか、わからなかった。結局、想像力は非常に複雑な問題で、科学的に説明するのは難しいのだろう。
電子書籍、電子書籍ともてはやされるのだけれども、実は理工学や医学の分野では、電子ジャーナルが普及して、とっくにデジタル化されて、少なくとも自然科学の分野では、紙の本にこだわることのほうが不思議なくらいである。じゃあ、なぜ電子書籍と騒ぐのかといえば、まったくデジタル化の波が到達しないと思い込んでいた人文科学、それも文学、小説までもがデジタル化するので、驚異であり、脅威なのだ。喩え話で言いかえれば、スポーツが嫌いで、ほっそりとヒョロヒョロで小説ばかり読んでいそうだった草食系男子Falconが、ある日突然、トレーニングルームに週一回通い始めて、プールで3,000メートルぐらい平気で泳いで、裸になると筋肉モリモリの肉食系になったから驚くのと同じである。
酒井氏の論点で、納得できない点がある。つまり、反対したい。それは何かといえば、紙の自筆本(=手稿本)から色々なことがわかるから、だから紙の本が貴重であると酒井氏は論じでいるが、残念ながら、唯一無二の自筆本を紙の本で手に入れて読むのは困難であり、むしろ自筆本はデジタル化されて電子図書館を使って読める時代になったから、うれしいというべきである。電子図書館では、紙の手触り(感触情報)、紙と墨、インクの匂い(嗅覚情報)が感じられないだけで、視覚情報としては全く遜色ない。自筆本の話題では、紙の本に軍配は上げられない。
酒井氏が、紙の本を読むと考えることができる、それに対して、電子書籍を読んでも想像力が働かないので良くないと論じたのは納得できた。酒井氏は深くは触れていないが、紙の本を読むと考えることができる、想像力をはぐくむというのは、ページをめくるという簡単な操作で、余力を思考に使うことができるからだ。それに対して、電子書籍、インターネット、コンピュータは、操作が複雑で、読者は余力を思考に向けることができない。特にFalconは不器用なので、複雑な操作をしながら、読むのは困難である。考えながら、コンピュータを操作しながら、ブログに文章を書き込むのは至難の技で、ブログに書き込むためには、書こうと思っていることをじっくり考えてからでないと無理だ。今、このときでも、書こうと思っていたことを、どんどん忘れ去っている。
酒井氏は図書館についてほとんど触れていない(著作権の問題などでちょっと触れている)が、電子書籍が普及すると、図書館では貸出・返却の問題が無くなると言えないが、全く気にならなくなる。利用者は図書館のサイトにアクセスして、登録して、検索して、貸出手続きする。未返却・延滞の問題は無くなる。紙の本という物体が無いから汚損・破損の問題もない。紛失の問題もなく、1000万円もする入退館装置、ブックデテクション装置、ICタグ(RFID)も無用である。蔵書点検もない。ダウンロード、著作権の問題は無くならないだろう。むしろ、深刻になる。
「ちょっと待った!、それじゃ、図書館は要らなくなってしまうじゃないですか。本当に、それで良いんですか」
そうだよね。図書館が無くなる日も近いかもしれない。
酒井氏の本を読み終えて、ふと、不老不死が実現できた世界を想像してしまった。人間は、ある程度、成長したら、その時点から老化しない、しかも、虫歯もなく、病気もなく、死なない。永遠に生き続ける。災害もなく、交通事故も起きない。
そうなったら、人間は生きるために苦労することもない。自分が生き続けるのだから、子どもも必要なくなる。
食べるためには苦労するかもしれない。それ以外の苦労はない。
生きる目的も無くなる。死なないから。
変な論理かもしれないが、生きる目的を残しておくために、紙の本は無くしてはいけないと思う。
こんなふうに想像力が生まれるも紙のおかげかもしれない。
20:23:52 |
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September 13, 2012
今日、《住宅》に出会った
住宅顕信(すみたく けんしん)と読みます。朝、古新聞を片付けていたら、住宅顕信の伝記に目がとまり、読みふけってしまいました。
日本図書館協会に用事があったので、帰りに東京駅丸の内口にある丸善で、住宅顕信の句集『未完成』を買い求めました。最初、春陽堂文庫なので文庫のコーナーにあるのかと思って探しましたが見つかりません。店員に尋ねたら、句集のコーナーにあることがわかりました。棚から手にとって、開いたページ(p218)には、
若さとはこんな淋しい春なのか
の句があり、かなしみと涙がこみ上げてきて、足が震えて、立ちつくせなくなり、かがみこんでしまいました。幸いなことに、夕方で客足が途絶えてきたときだったので、気づかれなかったと思います。同世代だからこそ感じられるものがありました。
住宅は、浄土真宗に帰依して、得度して僧侶となり、結婚、急性骨髄性白血病を発病して、妻の実家の願いに応えて離婚、長男を引き取って、病室で育てつつ、25歳と10カ月の若さで夭折しました。短い3年間の間に281句の自由律俳句を残したといわれます。
住宅が亡くなった昭和61年はバブル景気に突入する直前でした。まさか空前絶後の好景気が押し寄せてくるなんて考えもいない、嵐の前の静けさのような時代に、彼は息を引き取ったのです。1970年代のドルショック・オイルショック・狂乱物価の不況から好転する兆しが見えてきた頃です。
Falconは思えば、大学を卒業して、図書館職員になる夢を捨て切れず、親元からアルバイト先へ通っていたころです。
若者、若者と世間の人ははやし立てるけれども、アルバイトで稼いだお金は大人たちに巻き上げられて、なんとなく手ごたえが感じられなかった時代でした。バブル経済で、この世を謳歌していたのは団塊の世代です。たしかに60年安保闘争、70年安保闘争で辛い思いをしたかもしれませんが、淋しさは無かったと思います。Falconの世代は淋しさだけが残っている日本を生きていたと思います。
住宅の句には、そんな時代のやるせない「空気」が感じられます。もちろん、不治の病に侵される経験は共有できませんが、青春という言葉が導く残酷な淋しさは、今でも痛感できると思います。
住宅がこの世を去って四半世紀になります。「淋しさ」という原子の中に潜む「虚しさ」という素粒子が世の中を満たす時代になってしまいました。
ところで句集『未完成』の巻末には住宅顕信の短い人生と死後の経過をたどった年譜があります。
それを見ると、高等学校の教科書にも載ったことがあるんですね。児童書などでも「ずぶぬれて犬ころ」という句が紹介されている。住宅の句に出会える子どもたちがうらやましい。
フランスでは空前のジャポニスムです。19世紀の印象派以来の第2次とも言える日本ブームです。オタク文化とマンガだけかと思いきや、俳句がフランス人の間で大流行しています。このブログで1月ごろ、ブルターニュ地方のレンヌで俳句をツイッターで呟くコンテストを行うというニュースを紹介しましたが、俳人・住宅顕信は北野武監督と並び称される程の人気ぶりです。
Falconも住宅に習って、一句
秋の背中、振り返れば月かげ 一騎
00:22:54 |
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September 06, 2012
ヘルシンキのここが穴場!の図書館3ノルディック図書館
スウェーデン文学協会を後にして、大聖堂の裏側を歩いてゆくと、国立古文書館の豪壮な建物を目にします。ここは見学可能か?わからなかったし、仮に見学してもフィンランド語がわからなければ、意味がありません。やがてフィンランド国立図書館の前に来ます。ここは2日前に訪れました。観光客でも自由に使うことができます。建築や内装が素晴らしい。いずれにせよ、フィンランド語がわからないと、その図書館の良さは理解できません。図書館は使ってみないと、その感触がつかめない。
今年のはじめ、フィンランド国立図書館のユニークな試みがニュースとして流れました。古文書の解読にコンピュータゲームの愛好家(ゲーマー)の力を借りるというものです。コンピュータゲームを楽しむうちに、古文書の解読ができるという。コンピュータゲームをしている間は夢中になっていますが、終わった瞬間、何と虚しい思いが残ること!それがゲームに夢中になっている間、古文書の解読になってしまうという、大逆転の発想です。
地味な話ですが、NHKの科学番組で取り上げてくれないでしょうか。
国立図書館の周辺はヘルシンキ大学の建物が取り囲んでいます。
ちょうど、数日前に訪れたヘルシンキ大学の中央図書館カイザーハウスが見えたので、その前を通ってみることにしました。仕上げの最終段階ですから、勿論、立ち入り禁止です。数日前はちゃんと許可があったから入れたのです。
カイザーハウスの前の坂道を下ってゆくと、カイサニエミの通りになります。植物園もすぐ目の前です。路面電車の停車場のすぐ目の前に、本を開いて頭に乗せている少年の顔のポスターが目にとまりました。ここはIFLA大会中、誰しもが通りかかっている通りです。ヘルシンキのど真ん中で、地下鉄のカイサニエミ駅の出口からもほんのちょっとのところです。
このポスター、う〜ん、あやしい。
茶色の硝子窓で、中はほとんど見えません。これで、ここが図書館であると気が付く人は、全くと言っていいほど、いないと思います。お釈迦様でも気が付くめい!と思いたくなります。
あとで、「ここが図書館です」と他の参加者に教えたらば、「ええ、わからなかったあ〜」と叫び声をあげていました。
ヘルシンキ市立図書館ならば、二重引用符の旗がありますから、「市立図書館ね!」と気が付きます。
一応、図書館と書いてありますし、曜日の開館時間が書いてあるので、間違い無いでしょう。もし、入館が許可されないなら諦めて帰れば良い。
ドアを開けて入ってみると、受付カウンターの女性2人が「ノルディック図書館にようこそ」とにこやかに迎えてくれました。
「ここはヘルシンキ市立図書館ですか」
「いいえ、ここはノルディック図書館といって、あえて言えば、専門図書館ね。ヘルシンキ市立図書館とは全く違います。窓側には北欧各国の新聞と雑誌が置いてあります。北欧って知っていると思うけど、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、フィンランドの4カ国とアイスランド。バルト3国の資料も若干あるけど」
「へええ。AV資料もありますね、貸出可能なんですか」
「もちろんよ。誰でも借りられますよ。市立図書館みたいだけど、北ヨーロッパの資料を専門に扱っている図書館なの。AV資料の後ろが小説や一般書で、奥の書架には児童書を排架しています。」
「一日にどのくらい利用がありますか」
「今は学校も大学も夏休みだから、ほとんど利用者がいませんけど、学校や大学が始まると、子どもや学生がたくさんやってきます。みんな北欧のことを調べにね。1年のうち10カ月程度開館するんですけど、延べ人数で年間26,000人くらいですかね」
「この図書館は新しく見えますけど、いつから設立されたんですか」
「ノルディック研究所自体は15年くらい前です。以前は、中心部から離れた場所にあったの。7年くらい前に、ここに移ってきて、活気があって人々が良く利用します、4年くらい前に内装を明るくしました。私は古いけど」
(おいおい、笑えない冗談いうなよな)
駅の近くの郵便局の建物の上にヘルシンキ市立図書館があります。また、駅からは少し離れていますが、古くからのヘルシンキ市立図書館本館があります。2017年には駅の北側にヘルシンキ市立図書館の新館がオープンします。
というわけで、ノルディック図書館は目立たないけど、なかなか素敵な図書館でした。
ヘルシンキ中央駅、アテニウム美術館からも、徒歩で7分足らずです。
地下鉄でもトラムでも行けます。カイサニエミ駅の近くです。
開館時間に注意してください。
えっ、なぜ、もっと早く、教えてくれなかったのかって、私も気が付いたのが閉会式の昼間に散歩していたら、発見しましたからね。他の参加者の方には申し訳なく思っております。
11:50:10 |
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September 05, 2012
ヘルシンキのここが穴場!の図書館2スウェーデン文学協会
フィンランド文学協会の図書館を後にして、次に向かったのがスウェーデン文学協会の図書館です。ここは正直言って、予備知識もなく、たまたま大学図書館でもらった付近の図書館ガイドに載っていたので、立ち寄っただけでした。
フィンランド文学協会の建物から北へ向かって、1区画、100mくらい歩いたところにあります。大きな建物の中にあり、フィンランド文学協会よりも目印が無く、通りの名前と番地で推理して、古風な街頭ランプと番地のプレート「5」で、(ここが入口かなあ)と思い、ドアを押したり、引いたりしました。オートロックがかかっていたようで、ドアはびくともしません。ほんの数秒でしたが、ドアのカギが開いたような気がしました。ドアを開けて、2階へあがると、気さくな20代後半ぐらいの若者が受付にいます。
「あのお、ここに図書館ありますか?」と英語で尋ねると、
「図書館を見学にしに来たんだね。ちょっと待って、司書の人を3階から呼びますから」と気さくに応えてくれました。
(昼休みの時間になっているのに、ずいぶんと親切だなあ)
フランスですと、昼休みの時間は絶対に対応してくれません。
受付の若者が電話で司書の人を呼んでくれたのですが、すぐにはやって来ません。しびれを切らした若者が立ちあがると、なんとバミューダパンツ姿で、日本の夏なら仕方ないにしても、フィンランドは夏で暑いとはいえ、日本の初夏のような気候です。ちょっと寒そうでした。
しばらくすると、エレベータが降りてきて、ひげを生やした30〜40代くらいの男性の司書の人が現れました。
「やあ、日本から来たんだね」
「はい、以前、大学図書館で働いていましたが、今は大学で図書館学を教えています」
「早速、図書館を案内するよ」
低い声で話していましたが、明瞭で流暢な英語で、こちらも意識せずに、普通に、自然に会話ができました。Falconは英語に劣等感があるので、こんなに、なめらかに会話ができたのは初めてです。
3階へエレベータで上がると、司書の男性はおもむろにドアをカギで開けます。
「見てわかるように、いくつも椅子が置いてあるのは、ここは会議とか、講演を行うホールなんだ」
たしかに40人ほどが座れる椅子があります。
「正面には19世紀以降のスウェーデン文学に関する刊本(印刷された装丁本)が置いてある。ここは周辺にフィンランド文学協会、国立古文書館、国立図書館、ヘルシンキ大学があって、研究者にとっては便利で、絶好の場所なんだ。何か、知りたいことは?」
全く期待もせずに見学で訪れたので、質問と言われても、困ってしまいました。
「今、特に思いつきませんけど、古い本には興味があります」
正面の壁面書架は4m程度あって、2層になり、階段で上の層の書架に登れます。
「それなら、16世紀以降に印刷された図書を紹介しよう」
ちょうどドア側の壁に沿って、展示ケースがあり、16世紀以降にヨーロッパ各地で印刷された図書が置かれています。
「これは最も初期に北欧、スウェーデンを中心に描かれた地図が載っている地理学の本だよ。次に、パリで印刷された本。これはヴェネチアで印刷された本。これはドイツで印刷された死の舞踏の挿絵が描かれた本だ。死の舞踏はヨーロッパの伝統文化だ」
司書の男性は、突然見学に来た、たった一人の日本人に、親切に説明してくれました。
フィンランド文学協会の図書館に比べたら、資料の量はわずかですが、貴重な本を細かく説明してもらえたので、大満足でした。
「正面の書架だけど、上がってみるかい」
鍵を取り出し、ドアを開けて、階段を上ります。
上の層には19世紀以降の主にスウェーデン文学に関する本が排架されています。しかしながら、文学以外の、宗教書もありました。
「この聖書、面白いよね。ベルベットの表紙の上に、金属の小さな十字架が置かれているだろう。おっと、はずれかかっている。それから、これはカギが付いている図書だ」
「文学とは関係なさそうですけど」
「ふふふ、この書架には装丁の変わった本を集めてみたんだ」
書架を2人で眺めていたら、ふと思いついたらしく、こっちへおいでと手招きするので、招きに従ってゆくと、別の書架から「ちりめん本」を取りだしてくれました。ちりめん本とは明治時代にシワシワの和紙に印刷された手のひらサイズの本で、ちりめんのような感触から、ちりめん本と呼ばれています。
3冊取り出してくれて、明治時代に東京・神田で印刷されたようです。スウェーデン語に翻訳された日本の昔話で、「舌切雀」「桃太郎」「こぶとり爺さん」でした。、
「日本では有名な話かい?」
「日本の子どもたちが良く知っている昔話ですよ」
「ふーん」
「これは、お婆さんが糊を食べた雀の舌を切ってしまって、可哀想な雀をお爺さんが助ける話、これは桃から生まれた男の子がお伴の猿と犬とキジを連れて、鬼が島で鬼たちと戦う話」
「そのとおりだ」
色鮮やかな挿絵で描かれていて、雀たちが着物を羽織っている姿が生き生きと描かれています。
「写真に撮って良いですか?」
「もちろん、構わない」
で、写真に撮ったのですが、暗い中で撮ったので、シャッタースピードが遅く、ブレてしまい、とてもお見せできません。悪しからず。
「ここの資料はデータベースで検索できて、デジタル化されて、インターネットで見られる。見せてあげよう」
司書の部屋へ案内されて、コンピュータの画面に現れるのを見ていましたが、接続環境が悪く、見れませんでした。それにしても、OSがWindows98だったのに驚きました。フィンランドはノキアというヨーロッパ随一の電子関連企業があるというのにー。
「日本に帰ったら、接続してみます。スウェーデン語でもソフトウェアで英語に翻訳できるし」
「そうだね、そうすると良いよ。どうだった?」
「ええ、大変満足しました」
司書の人と受付の人にお礼を言い続けて、スウェーデン文学協会を後にしました。
全然、期待もしていなかったのに、こんなに親切にしてもらって、言葉も出ません。
初めはトラブル続きの大会参加でしたが、スウェーデン文学協会のドアを閉めたとき、思わず感激の涙がこぼれました。
スウェーデン文学協会の図書館は、まさに大穴。ここは絶対に見逃せない図書館です。
司書の人が説明してくれたように、ヘルシンキ大聖堂を取り囲むように図書館、関連施設があります。日本の参加者の多くが、これらを見逃したことは残念の極みです。
23:18:28 |
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ヘルシンキのここが穴場!の図書館1フィンランド文学協会
フィンランドに行くなら、ここは絶対に見逃せない!と思っていた図書館がフィンランド文学協会の図書館です。Falconが何故この図書館に興味を持っていたかというと、大学時代に講談社のムーミンシリーズの翻訳家の一人、高橋静男先生にフィンランドの国民叙事詩カレワラについての講義を聴いていたからです。カレワラは19世紀にリョンロートがフィンランド東部に残る民間説話をもとにつくった叙事詩です。フィンランドの民族意識を高めて、ロシアからの独立を導くきっかけになりました。そういえば日本の古事記と比較されます。
リョンロートの民間説話の収集活動を支援したのが、1831年に設立されたフィンランド文学協会です。
フィンランド文学協会は、それ以来、「民話研究の聖地」となりました。民俗学、特に民話を研究する人で、ここを知らないのは恥ずかしい。
民間説話の研究の聖典といえるのが、この本上・下2巻です。
現代教養文庫で出版されていましたが、出版社の社会思想社が経営不振で営業を停止したので、絶版となり、古本でも入手しにくい本です。
巻末に掲載しているテール・タイプ・インデックスとモティーフ・インデックスは貴重です。ぎょうせいで刊行していた叢書『世界の民話』の巻末にもテール・タイプ・インデックスがありました。グリム童話の研究書などにもテール・タイプ・インデックスが掲載されています。
この民話研究に欠かせない資料を管理しているのが、フィンランド文学協会です。
おそらくIFLA大会2日目夕方のオフ・サイト分科会(大会のメイン会場ではなく、別の場所で開催される分科会)に参加しなければ、全く気が付かず、帰国してから、ほぞをかむ思いをしたでしょう。この分科会はヘルシンキ大学の講堂で開催されて、大会前に参加を呼びかけられて、参加しました。テーマは「将来の図書館をデザインする」でした。2017年に新館がオープン予定のヘルシンキ市立図書館の館長、2012年9月に新館がオープンするヘルシンキ大学図書館の館員(大学教員を兼任する)、ヘルシンキ大学の新図書館の建築家、フィンランド国立図書館の館員が、それぞれの図書館の計画、設計、改装について語るというものでした。しかも、講演が終わってから、間もなく開館する(9月開館なので、もうすでに開館しているはず)ヘルシンキ大学図書館カイザー・ハウスでの軽い夕食付きの分科会で、超お得な会でした。
で、この大学図書館で入手した大学周辺の図書館ガイドで、フィンランド文学協会を発見しました。ガイドブックには掲載していません。
場所はヘルシンキ大聖堂の東側の通りです。特に案内板があるわけではないので、フィンランド文学協会のサイトで住所、通りの名前と番地を確認してから行ってください。特に目立つ建物ではありません。
階段を上って扉を開くと、左側に受付があり、「ご用件は?」と英語で尋ねられます。はっきり言えば、「ここはフィンランド文学協会だけど、何しに来たの?」と訊かれます。
「民話のアーカイブがあると聞いたんですけどお」
「ああ、図書館ね。図書館なら2階よ」
「そっ、そうです」
「2階へどうぞ」
翻訳すると、受付の若い女性の科白がぞんざいに感じますが、とても明るい、笑顔の絶えない人でした。
2階に上がると、右側が民話資料のアーカイブで、左側がレファレンスルームになっていて、カウンターの方が、かすかに微笑みながら、「ああ、IFLAの参加者ね。明日、見学会があるわ。この下にも書庫があるから見学してください」と言ってくれました。
レファレンスルームから階段を下りて、書庫に行くと、フィンランド語で出版された文芸書が所狭しと排架されていました。
もちろん、児童文学のコーナーがあります。
いちばん奥の集密書架には民話研究に関する雑誌がありました。
これからフィンランドへ行くなら、ここは絶対に見逃せない図書館です。
18:41:55 |
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