July 12, 2011

観能日記:納涼、能涼の週末

 先週の土曜日、久々に能楽を観劇した。
 宝生能楽堂での五雲会だった。仕事の関係で、最初の能『志賀』は見損なったけど、狂言『盆山』、能『田村』、狂言『附子』、能『羽衣』『大江山』を観劇した。
 狂言『盆山』は盗みに入った者が主人に身咎められて、主人がつぶやく動物の振りをする。最初は犬の振りをする。この当時、犬は擬声語で「びょう、びょう」と吠える。現代の「ワンワン」とは全く違う。英語の「バウワウ」に近い。次に猿の振りをして身体をひっかく。「きゃっきゃ」というか、「しゃっしゃ」に近い。さて、最後に主人は「鯛かな」という。さすがに鯛は鳴かない。ひれを見せて、何と鳴くのか、それは見てのお楽しみである。
 狂言『附子』は、主人が、大切にしている「附子(ぶす)」を毒だと偽って、太郎冠者と次郎冠者に留守中、見張らせる。ところが、この附子、実は甘い甘い砂糖で、当時は貴重な食べ物だった。太郎冠者と次郎冠者は競って食べてしまい、戻ってくる主人に言い訳を考えなければならない。その言い訳とは、見てのお楽しみである。どちらも、気のきいたショート・コントで、日本にはこんなに愉快な話があったとは、本当にすごいと思う。どちらも、子どもが見ても楽しい。外国の本の読み聞かせよりも、こうした狂言のほうがどんなにか楽しいことか。やはり、日本の図書館関係者はアメリカとキリスト教の影響を受け過ぎている。

 能『田村』は国立能楽堂で今年の春、見たのでストーリーは大体分かる。前シテの、地主権現の桜守の童子が神秘的だった。

 能『羽衣』は一度は見たいと思っていた。華麗な舞は言うこと無し。能と言えば、型にはまった演出と思いがちだけど、さまざまな演出と舞の形がある。今回見たのはあまり大胆な舞は見られなかったけれども、演出の仕方によっては橋掛りで天女が舞いあがる演出もある。かと言って、ピアノ線で宙づりになるのではないけど。

 能『大江山』は源頼光の酒天童子退治のはなしである。田村に登場した童子にしても、前シテの酒呑童子のエロティシズムは能の世界ならではのもの。切能(最後の演目)は、観客がつかれてきているので演出も派手だ。能『羽衣』よりも楽しめた。

 能楽の観劇の最中、物音を立てる迷惑者は相変わらずいる。それも分別盛りの中高年。紙袋をあさったり、謡曲のコピーをガサガサめくったり、一体、何しに来ているんだと、怒鳴りたくなる。これが、若者たちが稼ぐアルバイト代よりも高い年金をもらって、高度な医療で長生きしている、日本の卑しいジジイとババアの実態だ。少なくとも、周囲に迷惑をかけないで、生きていてくれないかと思う。

 「ねえねえ、Falconさん、迷惑な老人が嫌いなの、わかるけどさ、ジジイとババアなんて書くと、後でクレームがつくよ」

 わかりました。翁と媼ですね。

 「それも、ちょっと、違うんですけど」

 で、そのあと、神保町へ行って、三省堂書店をぶらついて、地下鉄半蔵門線に乗ろうとしたら、ピンクの衣装を身につけた。。。

 「えっ、その人たちって、あの林家ぺーさんとパー子さん夫妻ですか」

 そうなんですよ、改札で真正面に出会いました。
 素敵でした。お二人とも。
 東京で芸能人に出会うのは別に珍しいことではありませんが、営業のあのままの衣装で、ばったり出会うのは、結構、嬉しい衝撃です。

 沖縄に住んでいたとき、空港で柴田恭平さんや鶴瓶さんを見かけました。鶴瓶さんって、ぜんぜん飾らない人です。あのまんまで、ベンチに座ってだみ声でしゃべっていました。 [more...]

23:47:19 | falcon | comments(0) | TrackBacks