November 29, 2011

共感せよ!国家オドロキ公務員転職物語



 柳の下ドジョウ本って、あるものですね。 って言うか、たまたま、同じテーマの本が同時期に出版されたのでしょうか。 って言うか、大学教員になるのがブームになって、庶民のあこがれの職業と思われているから、次々に本が出るのでしょうか。

 何度も言いますが、大学教員なんて、そんなに良い職業じゃないですよ。
 アメリカでは大学によりますが、大学の経営を担当する教員、研究に専念する教員、教育を担当する教員と分業体制をとっています。ところが、日本の大学はすべて仕事としてこなさないとイケないのです。少なくとも、研究と教育の両方をしないと、ダメなんです。日々の教育に力を入れ過ぎると、研究はできません。研究に力を入れると、教育がおろそかになります。いくら自分の好きな分野でも、ハイレベルで研究と教育に力を注ぐのは、想像以上に大変です。

 でね、この本、アメリカの大学院への留学経験がある、国家公務員1種合格のキャリア官僚が、ひたすら大学教員になるために努力したという話なんです。
 国家公務員1種合格のキャリア組は、平安時代で言えば内裏で働く雲上人じゃないですか、江戸時代ならば、直参家臣団の御家人に相当します。庶民の感覚とはズレているなあと思って、反発と羨望を感じながら読み始めました。

 最初のジムでのエピソード、日課としていた1kmの水泳でぶっ倒れたというのは、共感できませんね。Falconは仕事の合間に、泳いでいますが、2時間でゆっくり泳いで4kmは泳げます。スポーツがほとんどできなくて、苛められ子だったFalconがですよ。

 まっ、読み進めていくうちに、著者の公務員時代のエピソードには少なからず、ほろっとさせられました。何を隠そう、Falconも国家公務員2種合格のノンキャリア組とはいえ、文部省職員でしたから、行間に込められた思いを読みとることができました。

 うっが、p.133「どこの図書館かは言わないが、満を持して有給を取って資料を集めている時に、ダラダラ作業する職員にぶちぎれかけた」のくだりには、ムカーっとしました。
 図書館魂(だましい)を忘れないFalconにとって、この発言は聞き捨てできません。そりゃー、必死になって論文を書こうとする著者の気持ちは理解できますが、だからと言って、図書館職員がダラダラ仕事していると非難することはないと思います。図書館職員も必死に仕事しています。
 大昔は、図書館職員は「閑職(いまでは、ほとんど死語)」と言って、他の仕事ができなくて人事異動させられた人や、定年退職間際・直後の人のポストでした。でも、今は図書館職員は大変忙しい仕事です。見かけは知的労働ですが、実際にしてみれば、わかりますが、肉体労働です。図書の配架、雑誌の搬入など「汚れ役」です。さまざまな利用者の要求に応えるために日夜、仕事しているのです。学術論文を書こうとするあまり、他の人のことはバカみたいに見えるのでしょうね。
 挙句の果てに、国立国会図書館の職員にまで批判の矛先を向けています。これは図書館職員に対する暴言であり、図書館職員(司書も含む)への冒涜行為です。
 『図書館××』という小説のように、図書館職員は恋愛ごっこや、あくまでも例の小説家の妄想でしょうが、戦争ごっこをするほど、暇を持て余していると世間には思われているのでしょうね。
 こんな我儘で思いあがった著者だから、99回も大学教員の公募で落とされるのですよ。自業自得です。
 著者のためを思って言わせていただきますが、「こんな本は出版するな」とは、もはや絶対に言いませんが、この図書館職員への暴言は削除してください。国家公務員をされていた著者なんですから、それも合格したくても合格できない、人もうらやむ国家1種合格のキャリア組だったのですから、他の職種に対する、もっと思いやりのある叙述にしてください。

 巻末に「筆者がすべった大学一覧」があります。p.252には、なつかしい、なつかしいTJ大学がありました。いまはTulips大学へ吸収合併されて、その名称を知る人も少なくなりました。

 「ねえ、TJ大学って、何よ」

 Falconが大学院で過ごした、そして図書館職員としても過ごした大学です。ULISです。

 あの〜〜、巻末には、「お願い」と称して、筆者が書きあげた小説を出版したいという願望が書かれていますが、ずいぶんと厚かましい態度と思いました。図書館職員に対する暴言の一件からすると、偏狭な考えで自己中心的な叙述があったから、せっかく書き上げたのに出版が頓挫したのではありませんか。

 

21:35:37 | falcon | comments(0) | TrackBacks

November 26, 2011

大学教員は本当にツライ!

 

 読み終えました。

 大学教員は本当に雑用が多く、「何で、こんなことしなければならないのお〜!」と叫びたくなります。
 入試作業は、一応、事務職員たちが「先生、先生」と立ててくれますが、実質、同列扱いです。むしろ、先生のほうが飼いならされているサーカスの動物のようなものです。
 委員会が多く、会議の合間に授業をしている先生もいます。それが意義のある会議なら良いのですが、大半が事前に議題と議案が決まっていて承認するだけです。残りは報告で、こっちが長いときもあります。
 専任の大学教員なら、涙なしには読めない、いや、流れるはずの涙さえ枯れ果てたとしか言えません。
 私の知っている人で、定年後、暇つぶし程度に優雅に非常勤の大学教員をしている人がいますが、「これでも結構、大変なのよ、ホホホ」と微笑む人がいます。そんな人を目の前にすると、目が引きつり、殺意を感じます。「専任教員の辛さを知っているのかよ!」

 著者の櫻田先生は国際政治学の先生なので、ひたすら、やたら、外国語、それも特に英語ができないと、大学教員に向かない、極言すれば、大学教員は絶対に無理!とまで書いているのですが、それはあくまでも櫻田先生と英語科目を担当する先生の専門分野に限ったことで、分野によっては英語ができなくても大学教員になれます。Falconは自慢ではないですが、英語は嫌いです。文法は簡単ですが、単語が多いし、発音と綴りが一致しない。
 しかしながら、英語など外国語がある程度できると、大学教員として一目おかれることは事実です。でも、それを鼻にかけると、嫌われます。「まあ、そこそこできます」程度で普通にしているのが、好感度アップにつながります。
 海外の大学で学んだことは、今から20年前だったなら、貴重な経験として評価されましたが、今は値崩れしています。海外の大学でもレベルがさまざまですし、これだけアメリカ、ヨーロッパの価値が低下しているのに、いまだに拝米主義者を気取っているのは、心の底を見透かされるでしょう。
 日本でも最近、化けの皮が剥がれてきましたが、海外の大学院といっても、職業人を専門家にするコースと研究者を養成するコースがあり、「大学院」の凄味が薄れてきています。このブログでも書きましたが、アメリカ合衆国ではダンス教室の先生も、料理教室の先生も大学院を出ています。日本でも大学院生が倍増してからは、研究者養成の意味は薄れました。つまり、平成2年度以降の大学院入学者で、大学教員になって、研究者をめざすのは、叶わぬ夢を追うようなものです。
 Falconが大学院に行ったのは、「図書館のお兄さん」になりたかっただけで、大学教員になるつもりは、全く無かったかというと嘘になりますが、ほとんどありませんでした。パーセンテージで言えば、5パーセントです。ただ、Falconは運よく昭和の終わりごろに大学院に入学したので、まだ大学院が黄金の輝きを失っていなかった頃でした。分野によっては、断っても、大学教員になれる可能性があったころです。

 いまでも、何が何でも大学教員になりたいと猛り狂っている人を見ると、Falconは気味が悪くなって、避けます。好きでなる職業ではありませんよと、忠告したいですね。

23:09:46 | falcon | comments(0) | TrackBacks

November 23, 2011

教師はつらいよ!

 「ねえ、ねえ、またパクリ?」

 えっ? どこがですか?

 「だって、(男はつらいよ)に似ているじゃない?」

 まあ、そうですね。そのとおりです。でも、小説や映画のタイトルは、「創作性」が裁判で認められないと著作権侵害になりません。図書のジャケットのデザイン、映画のポスターがそっくりで、内容も類似していて、さらにタイトルまで似ている場合には不正競争防止法の権利侵害になる可能性がありますが、「男はつらいよ」と「教師はつらいよ」では日常会話のレベルで、これで著作権侵害になったら、大変なことになります。

 で、これが問題じゃなくって、教師、それもフランスの教師、もっと限定すれば、フランスの、中等教育の学校の教師がつらいよとこぼしたくなる、呟きたくなる、ぼやきたくなるくらいに大変なんです。

 フランスの中等教育の学校には、日本の中学校に相当するコレージュ、普通科高校に相当するリセ、職業科高校に相当する職業リセ、農業リセ(フランスの農水省管轄)があります。コレージュは4年制、リセは3年制、職業リセは2年制ないしは4年制です。小学校に当たるエコール・プリメールは5年制なので、日本が6・3・3制なのに対して、フランスは5・4・3制なんですね。
 そのコレージュとリセの先生になるためには、CAPES(体育教員と科学技術教員には別の資格がある)という資格認定証が必要で、国家試験で取得するのですが、NHKラジオテキスト『まいにちフランス語』11月号のp.79(訳文はp.107)の記事によれば、2011年のCAPES試験の数学、英語、古典文学、近代文学で候補者の定員割れが起こっているらしい。そのため987のポストが空いていて、不合格だった受験生を非常勤講師として雇うらしい。

 日本では公立学校の教職に就きたくても、なかなかなれないのに、フランスは事情が異なる。
 テキストの記事にもあるが、フランスの教員の年収は日本と比べて少ない。フランスで若者が教員をめざさない最大の理由である。しかも給料は上がらない。視学官(jury)が定期的にやってきて、授業の内容を評価して、給与の査定が決まるからで、この評価は厳正である。フランスの40代の中堅教員で、年収400万円くらいが多い。日本の中堅教員の年収は600万円ぐらいで、フランスはその3分の2である。イングランドはもっと低い。給与が抑えられている分、福利厚生が良いのかもしれないけど。
 フランスの教員は、特に中等教育学校では敬意を払われないし、つまり先生としてのまともな扱いはされていない、そのうえ、生徒たちから殴られる、つまり、ボコボコにされることがある。以前、フランスは体罰が厳しいお国柄だったけれども、20年くらい前から生徒から教員への暴行事件が絶えない。そのため、ますます若者が教師になりたがらない。フランスには「熱血教員物語」は通用しない。そこで、リセでは生徒たちに社会のルールを学ばせるためにシティズンシップ教育「社会教育の時間」が設けられている。いわば、校内暴力対策の一環である。この理由が生徒たちから教師への暴行だから、情けない。

 日本はモンスターペアレンツの問題など、教師の権威も昔ほど高くはなくなったけど、それでも儒教の精神は根付いていて、先生に対する敬意は払われる。
 日本の公立学校の教師は残業が多いし、校務分掌でがんじがらめになっている。それに対して、フランスは週の就業時間をきっちり守り、残業はほとんどない。そのうえ、フランスは学校の休みが多い。復活祭(パック)前後の春休み、夏のバカンス、秋休み、クリスマス休暇があり、小学校は水曜日(もしくは木曜日)も休みで、コレージュとリセは水曜日の午後は休みする学校が多い。その代わり、ほかの平日の時間割が5時間目、6時間目まで埋まっていて、小学校でも夕方まで授業があったりする。

 こうやって比較すると、日本とフランス、どっちにしても、教師の置かれた環境は、楽とは言えない。
 先生としてのプライドが保てて、給料の高い日本と、時間的な余裕があっても、教師の権威は失墜して、給料の低いフランス。
 それぞれの社会事情が影響しているけれども、教師はつらいよ!には変わりない気がする。

 ところで、フランスでも学校図書館専任教員であるドキュマンタリスト教員の人気は高い。この職種だけは定員割れしないようだ。

01:16:00 | falcon | comments(0) | TrackBacks

November 17, 2011

あんたも好きねえ

 夕方、神保町の三○堂で本を買っていたら、1階のカウンターで「店長出せ!」と喚いている品の悪い中年の男性客がいた。実は、今、問題になっている○暴さんたちよりも性質(たち)が悪いのは堅気の中高年のおじさんたちである。書店のカウンターだけでなく、図書館のカウンターでも、怒鳴り、喚き、迷惑この上ない。○暴さんたちは、店員の態度が気に喰わない程度の、こんなくだらないことで騒ぎを起こさない。彼らにも誇りがある。つまり、書店の店先で騒ぎを起こしてイキガッテいるのは下郎の様である。
 というのも、書店は青色吐息の状況で、書店を脅して、悪さをしかけるのは尋常の沙汰ではないことがわかっていない証拠である。



 この本、タイトルが軽い調子だけれども、内容は実に重たい。日本の出版界に恐ろしくも過激な課題を投げかけると言うよりも、喉元につきつけている。
 出版関係のテーマで、図書館について触れることはほとんどないが、この本では触れている。その意味で、図書館関係者に一読を勧めたい。
 無茶な提案もあるが、それなりに納得できる。
 議論を避けていたのでは、何も始まらない。議論があって、解決策が生まれる。もちろん、議論は感情的な脅しではない。

 実は、例の迷惑中年のおじさんのおかげで、Falconがアルバイト時代に御世話になった、ある意味、恩人の一人に久しぶりに出会うことができた。たまたま、迷惑おじさんの近くのカウンターで、その恩人の人が本を買っていたのだった。迷惑おじさんが騒ぎを起こしてくれなかったら、振り返ることもなかったはずである。
 この恩人とは、今でも書籍流通業界で活躍している人で、知る人ぞ知る、ひとかどの人物である。
 日本の出版界の状況を解説してくれるので、今でも有難い恩人の一人である。神保町で食事をしながら、最新の情報を仕入れることができた。
 
 さて、次に紹介するのは、大学教員採用の裏ワザを示した本だ。



 大学に籍を置く身として、含み笑いを勝手に浮かべて、ホイホイ読み進めることができた。
 でも、大学教員って、本当に良い仕事かなあと、正直、思案に苦しむ。世間の人は、羨ましく思うかもしれない。所詮は「隣の芝生」で、実際、足を踏み入れたら、天国どころか地獄そのもの、というのは言い過ぎかもしれない、世間一般のサービス業と大して変わらないというのが実感である。
 少子化のため、受験生は激減している。それに大学を出ても就職できない。とりあえず大学に入っておこうくらいの気持ちしかない学生たち相手に、聴いてもらえぬ講義を、辛さこらえて、話しているのが実情である。
 講義アンケートで、尋常でないことを書きこまれて、精神的に過剰なストレスを受ける。たびたび大学教員から学生へのハラスメントがニュースになるけれども、学生たちからの大学教員へのハラスメントは想像以上に深刻で、高い給与も口止め料としか思えなくなってしまった。

 受験生が激減しているのに、あいかわらず大学を新設して、学部を増設して、入学定員を増やしている。許可する文部科学省も文部科学省だが、見苦しく「肥満化」する大学経営には空恐ろしくなり悪寒が走る。国の教育行政が麻痺しているとしか思えない。
 大学を新設して、学部を増設しているのは、浮遊しているノラ博士のためではなく、第2次ベビーブームに生まれた世代が大学生だったときに雇われた大学教員の人件費を支えるために学部の増設が必要になっているだけだ。そして大学が増えると、学部が増えると、それに見合った教授陣が必要になり、その人件費を補うために、受験生確保が急務になる、、、、、、と、まるで循環小数のように際限もなく、大学の見苦しい「肥満化」が進む。大学院の定員が増えているのは、学部で確保できない分、大学院生の授業料で補おうとしているからで、日本の研究水準を高める高尚な志は皆無に等しい。もっとも、わずかな大学院生の授業料が大学経営の健全化につながるはずはないけれども、大学の評価や助成金の多寡にかかわることにはちがいない。

 元々、大学教員になる気が無かったFalconだけれども、今の職業が居心地が良いからしているのではなく、責任ある立場に立ってしまったから、その職務を全うする意味で続けているにすぎない。それなりに、拙い講義でも、知的喜びを感じてくれる受講生も少なくないので、生きがいにもなっている。

 で、大学院で学んでいる皆さん、大学教員になりたいですか。
 あんたも好きねえ〜〜。


23:45:26 | falcon | comments(0) | TrackBacks

November 16, 2011

チョ(著)ッとだけよ

 昔、低俗番組と非難されたが、当時のお茶の間の話題を独占したテレビ番組がある。週末、土曜日の午後8時に放映されたテレビ番組『8時だよ!全員集合』だ。
 ドリフターズの数あるギャグの中で、妙に印象深いのが加藤茶さんの「ちょっとだけよ、あんたも好きねえ」だ。『タブー(Taboo)』の妖しげな曲に乗って、ピンク色のスポットライトを浴びて、『サザエさん』の波平さんのようなかつらをかぶり、黒メガネにちょび髭を付けた加藤茶が現れて、観客とテレビの前の視聴者に意味ありげに「ちょっとだけよ、あんたも好きね」と話しかける。別にセクシーでもなく、加藤茶さんの姿形と、ストリッパーのような仕草とギャグが極度のミスマッチを生み出して、笑いを引き出す。

 で、大衆演芸論をするのが目的でなく、「チョ、著作権」を取り上げたい。





 どちらも買って日が浅いので、読み切っていないが、興味深い。『日本の著作権はなぜこんなに厳しいのか』はけして読みやすい内容ではないが、取り上げているトピックが印象深い。テレビコマーシャル(CM)に著作権があっただなんて、驚きである。
 著作権の改正へ向けての審議・話し合いが、こんなふうに行われていたとは、これも驚きである。
 ちなみに法改正へ向けての審議・話し合いは、現在、関係省庁のWebpageで閲覧できるし、そのときの配布資料も見ることができる。生々しい論戦の模様が伝わってくることがある。

 『文化のための追求権』は、前半と後半の2部構成になっていて、前半は著作権全般に関する解説で、後半は追求権についての解説になっている。美術の著作物と追求権という意外な側面が明らかにされて、これも驚きである。図書館職員というよりか、博物館・美術館のキュレーター向けの話だけれども、知的財産権に興味のある人には必読の書である。

 で、加藤茶さんのギャグをパクったって! う〜ん、たしかに、そうなんだよね。ギャグも著作物とみなされることがある。それも被害を受けた側が訴えた場合であって、多くの場合は著作権が無いとみなされる。というのも、ギャグの多くが日常会話の言葉が使用されていて、「創作性」が無い場合が多い。たとえば、小島よしおのギャグ「そんなの関係ない(ねえ)」も、日常会話によく用いられているので、もしこれに著作権があると、へたに会話できなくなる。「そんなの関係ない」と言うたびに、権利者である小島よしおに著作権料を支払わなければならない。だから、「ちょっとだけよ、あんたも好きね」も、部分的に日常会話で使うことが多いので、これには著作権が無いと考えられる。
 それから、ギャグは多くの人に知ってもらって価値のあるもので、権利者が独占して、誰も知らないのでは、意味も価値もない。小説のタイトルと同様に、著作権を主張することが難しい。物マネとして、ハイレグの競パン履いて、「そんなの関係ねえ!」と叫んで、営業活動すれば、小島よしおと所属事務所に訴えられる可能性がある。

 ここまで読んでくれた人へ
 「(著作権に触れたのは)ちょっとだけよ、あんたも好きねえ〜〜」
 「(著作権侵害だって?!)そんなの関係ない!」

00:01:05 | falcon | comments(0) | TrackBacks