July 11, 2010

源氏物語の作者は誰?

 久しぶりに源氏物語の世界にどっぷり浸りました。
 西村亨著『源氏物語とその作者たち』(文春新書)を読み終えました。
 源氏物語をまともに読んだことのない人は、ちょっと解りにくいかもしれませんが、それなりに楽しめます。最近の源氏物語の研究は言葉にこだわった用例研究が多い気がしますが、成立論とか、構想論が流行ったことがあります。著者の西村氏は、源氏物語の桐壷巻から藤裏葉巻までを紫の上系の物語と玉鬘系の物語と分けて、紫の上系の物語は紫式部が書いた原・源氏物語であろうとして、玉鬘系の物語、紅葉賀巻の源典侍(光源氏に熱を上げる老女)のエピソード、朝顔巻などは別の作者が書き込んだであろうと推理してゆきます。最後になって、意外な男性作者を指摘します。

 えっ、誰かって。それは秘密!読んでのお・た・の・し・みよ!



 Falconは大学時代、源氏物語を読んで、卒業論文を提出しました。光源氏の息子・夕霧について研究したのです。
 夕霧は父親に劣等感を感じて、少年時代を過ごしました。絵にかいたような真面目人間で、恋も真面目一筋、幼馴染の雲井雁と結婚します。正妻以外の女性との交渉も真面目なこと、この上ありません。光源氏の従者・惟光の娘とも結婚します。その真面目さが不幸を導くのが夕霧巻です。
 その真面目こちこちの夕霧君が、野分巻で父親の妻である紫の上を垣間見てしまった。「なんて美しい人なんだろう」と思慕の念が募ります。思えば、父親の光源氏も、亡くなった母の面影を求めて、継母の藤壺と「ものの紛れ」になったのですから、はらはらする一瞬です。
 あの場面、西村氏の説によれば、男性作者が書いたかもしれません。野分巻では、夕霧君、紫の上を思いうかべて、青春の行為に、なんて風に書かれています。たしかに、これは女性には書けない場面です。男性作者が書いたと思われます。

 Falconは卒業論文で、この野分巻で夕霧が何故、紫の上に思慕の念を募るのかを考えたのです。
 源氏物語で旧暦の八月(葉月)に亡くなる人がかなりいます。
 まずは夕顔、夕霧の母親である葵の上、紫の上、宇治八の宮です。そのほか、鈴虫巻で八月に追善供養が営まれることから、六条御息所も八月に亡くなっている可能性が高いのです。紫の上、宇治八の宮が亡くなるのは、物語の後の巻です。その上、野分巻では秋好中宮の父・前坊の宮が八月に亡くなった忌月であることで書き起こされるのです。
 作者は夕霧の母・葵の上が八月に亡くなっているのは十分意識しています。若菜上巻にも「八月は大将の御忌月」とあるのです。
 野分巻で夕霧が紫の上に思慕を強めるのは、実母・葵の上が亡くなった月だからなのでしょう。
 興味深いことに、藤袴巻で夕霧は六条院に住まう従妹の玉鬘に思いを寄せます。この場面も八月なのです。夕霧の母が八月に亡くなっただけでなく、玉鬘の母・夕顔も八月に亡くなっています。さらに、この場面、二人の祖母である大宮が亡くなったため、当時の喪服である鈍色(にびいろ)の衣を二人が着ています。
 藤裏葉巻で、仲を引き裂かれていた雲井雁と夕霧が結婚するように話が進むきっかけは、祖母・大宮の年忌供養です。
 夕霧の恋の話は、何かと近親者の死と葬送儀礼が関わっています。夕霧巻で落葉の宮との道ならぬ恋に惑うのも、従兄弟である柏木の死が横たわっています。
 光源氏の恋は藤壺との関係を除くと、誰かの死がきっかけになるということはありません。夕霧の人物造型は明らかに父親・光源氏と異なります。

 ついつい、卒業論文に書いたことを思い出してしまいました。

 西村氏の説にも傾聴する点は多いのですが、Falconは源氏物語に加筆・補筆、書き込んだ者を鎌倉時代以降の人たちでなかったかと思っています。国宝・源氏物語絵巻が平安時代末期・院政期に書かれたとしても、現在、私たちが源氏物語として読んでいるものは、藤原定家が編んだ青表紙本と、源光行・親行が編んだとされる河内本、別本系の写本を校合したもので、鎌倉時代を遡れないのです。平安時代に書かれた源氏物語があって、それに鎌倉時代以降の作者たちが書きいれしたのではないかと疑っています。

00:39:34 | falcon | comments(0) | TrackBacks