May 05, 2010

世界平和と分類法

 図書館の歴史では超有名人でも、歴史の教科書に載る人はほとんどいません。ただし、他の業績で著名で、経歴をよく調べたら、司書(図書館職員)をしていたという人はいます。例えば、ドイツの哲学者であり、数学者であったライプニッツはハノーヴァー侯の館の司書をしていました。ライプニッツは微積分を考えついたのですが、同じ頃、イギリスの数学者・ニュートンも独自に微積分を思いつき、ニュートンが煮え切らない態度で発表を遅らせたので、どちらが先に考えたのか、判明せず、一応、ニュートンが先に微積分を思いついたことになっています。これは今でも数学史上のミステリーです。そのほか、色事師で外交官であったカザノヴァも晩年、貴族の館の蔵書を管理する司書をしていました。フランスの作家・バタイユもオルレアン市の図書館長をしていました。

 図書館史では有名なガブリエル・ノーデも、アントニオ・パニッツィも、チャールズ・エイミー・カッターも、メルヴィル・デューイも、世界史の教科書にはほとんど登場しません。メルヴィル・デューイが図書館の十進分類法を思いついた人として、かろうじて登場するかもしれません。

 そんな中で、世界史の教科書に載っていてもおかしくない人物がいます。
 国際十進分類法を考案したアンリ・ラ・フォンテーヌ(1854-1943)とポール・オトレ(1868-1944)です。図書館学の教科書では、ベルギーの法律事務所で働く二人が、デューイの十進分類法を知り、改良して国際十進分類法を発表したという程度に習うのですが、アンリ・ラ・フォンテーヌは国際法の権威であり、常設国際平和局の事務局長を務め、1913年にはノーベル平和賞を受賞しています。また、第1次世界大戦後の1919年パリ講和会議にベルギー代表として出席しています。ポール・オトレは「世界書誌総覧」を作成し、国際連盟の創設にも関わり、建築家ル・コルビュジェとともにムンダネウム(世界の知性と美を集結した施設)を計画した人です。しかもインターネット、E−book、博物館ネットワークなど、今日の情報技術を発想していた人で、国際十進分類法の考案だけで済ませてしまうのは実に惜しい人です。二人は世界の平和を夢見て、精力的に活動しましたが、第2次世界大戦の最中、相次いでこの世を去ります。あともう少しで、戦争が終結するときに、息を引き取りました。
 国際十進分類法を説明するときには、アンリ・ラ・フォンテーヌとポール・オトレの世界平和への功績も説明したいと思います。

 図書館は平和を希求する施設です。
 

13:50:43 | falcon | comments(0) | TrackBacks