March 25, 2010

もう一人のミケランジェロ

 Falconは美術館巡りをしている。
 上野の東京都美術館はもうそろそろ改装のため閉館する。その改装前の展覧会「ボルゲーゼ美術館展」へ行った。ボルゲーゼ美術館へは、9年くらい前にイスラエルで研究大会があったとき、アリタリア航空を使ってローマでトランジットして、滞在したとき、あまり事前の予備知識が無いまま、訪れた。東京都美術館の展覧会では、ボルゲーゼ美術館の名品は数多くはなかった。ベルニーニの彫刻『プロセルピナの略奪』『アポロンとダフネ』(この2つの彫刻はイタリア芸術の中でも第1級の名品である)、カラヴァッジョの初期の名作『病めるバッカス』は、さすがに今回の展覧会には無かった。それでも、結構見ごたえがあった。

 一昨日は国立新美術館の企画展「ルノワール:伝統と革新」を観てきた。ポーラ美術館所蔵のルノワール作品を中心に、国内外の作品の展示だった。ルノワールの作品は日本では人気があるので、毎年、何回かはその作品を国内の美術館で見られる。今回はポーラ美術館所蔵の作品の赤外線、X線、蛍光X線で分析した作品の制作過程の調査が興味深い。印象派の画家は多作で、連作も多く、「これ、どこかで見たことがある」という既視感に襲われる。それでも、見るたびに発見がある。

 さて、昨日は映画『カラヴァッジョ:天才画家の光と影』を観てきた。カラヴァッジョという画家自身が波乱万丈、毀誉褒貶の人生を送った人で、その生涯を映画化すれば、面白くないはずが無い。以前、英国のデレク・ジャーマン監督が、やはりカラヴァッジョの生涯を映画化したが、ジャーマン監督の作品は、独特の様式美、監督自身の脚色があって、画家の生々しい生涯を描いたとは言えなかった。
 今回の上映作品はイタリアでテレビ映画として製作されたものらしい。主演の俳優がカラヴァッジョの自画像そっくりなので、真実味が増していた。枢機卿や教皇からの信任を得て栄誉によくするほどの腕前なのに、喧嘩、放蕩、殺人ともめ事ばかりを繰り返す。実に魅力的な画家で、Falconは以前から大好きな画家である。ルネサンス、マニエリスムを経て、バロック絵画の先駆けとなったカラヴァッジョの生誕400年が今年であるようだ。

 去年、イタリアへ行き、ミラノの美術館でカラヴァッジョの『果物籠』を観た。観たかった絵画の一つだった。

 ところで、カラヴァッジョの本名を御存知だろうか。
 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)で、あのルネサンスの巨匠ミケランジェロ・ブオナローティと名前はそっくりである。巨匠に憚ってかどうかはわからないが、通称カラヴァッジョと呼ぶ。カラヴァッジョとは彼の両親の故郷の村の名前で、画家自身はミラノで生まれたが、青年期まで両親の故郷で育ったので、カラヴァッジョと呼ばれるようになった。

 図書館の目録で、ヨーロッパの画家の著者標目を採用するのは大変面倒である。画家の著者標目は画集の時に必要になる。
 代表的なのがレオナルド・ダ・ヴィンチで、姓名で構成されていないので、

 標目はレオナルド ダ ヴィンチになる。

 ヴィンチは彼が生まれた村の名前である。ルネサンス、マニエリスム、バロックの画家の多くが、あだ名が通称とされている場合が多い。たとえば、ギリシアのクレタ島出身でスペインのトレドで活躍した画家エル・グレコは“ギリシア人”というあだ名が呼び名になっているので、図書館の目録の標目もエル グレコである。本名はドメニコス・テオトコプーロスという。イタリア・ルネサンスの画家フラ・アンジェリコは“天使のような修道士”というあだ名である。時代が下り、19世紀スペインの画家ゴヤは名前が長い。そういえば、ピカソは寿限無のように長い。
 というわけで、画家の名前は目録作成者泣かせである。カラヴァッジョの国立国会図書館での個人標目は、Caravaggio, Michelangelo daとなっており、両親の出身地の村の名カラヴァッジョが姓として扱われて、レオナルド・ダ・ヴィンチの例から考えると矛盾していて合理的ではない。

 最近、「図書館に興味を持った人」が専門家面して偉そうに、分類や目録、図書館サービスを語っているが、あれは騙りにすぎない。騙りにだまされないようにしよう。 [more...]

23:39:42 | falcon | comments(3) | TrackBacks