March 15, 2010

ストーリーテリングの多様性

先週と今週の『松嶋×町山 未公開映画を観るTV』は“Why we laugh”(我々はなぜ笑うのか?)を取り上げて、黒人コメディの歴史を辿った。

 出演していたビル・コスビーがとても年を取っていたので、驚いた。

 黒人のコメディアンたちは意外に知らない。Falconも実はエディー・マーフィー、ウーピー・ゴールドバーグくらいしか思いつかなかった。黒人差別の歴史と、白人が黒人をどう見ていたかを、コメディーの流れで捉えたドキュメンタリー映画で、非常に興味深かった。エディー・マーフィーの下ネタ(番組の映画では極力抑え気味)には苦笑いした。実際は相当なものなのだろう。

 で、何が言いたいかというと、この映画を見ていて、昔、アメリカで学校図書館の集会があった時に、プロのストーリーテラーのストーリーテリングの実演を見たときのことを思い出した。あの時の実演者も黒人だった。笑いあり、涙ありで、早口の英語とジョークについてゆくのに苦戦したが、実に楽しい話だった。そのとき、思ったのが日本の落語、漫才、漫談によく似ていることだった。
 最初、身近な話、世間話から入る。つまり、枕話だ。
 ギャグとジョークを連発して、皮肉を言ったり、批判をしたりする。
 ストーリーテリングは、さまざまな土地で、多様な文化背景のもとで生まれている。一概に、これが正統、オーソドックスとは言えない。アフリカの部族に伝わる創世神話もストーリーテリングであるし、日本の落語も話芸、ストーリーテリングだ。
 ところが、日本の図書館で児童サービスに関わる人たち、学校図書館でボランティアをしている人たちに、「アメリカの黒人の人がストーリーテリングをしていたのを見てきたけど、あれって、スタンディング・コメディーで、日本の落語にそっくりだよね」というと、至って渋い顔をする。自分たちがしているストーリーテリングを汚してほしくないらしい。
 それもわかる気がする。実は日本の図書館の児童サービスで行われいるストーリーテリング、読み聞かせなどの手法は、アメリカの教会で行われている子ども向けの説教の合間に行うものが導入されているからだ。つまり、キリスト教がその背景にある。児童サービスの語りは、宗教的で、神聖で、高尚な冒すべからざるものである。読書のアニマシオンもスペインで始まったが、その根源には聖書解釈の手法がある。
 これは西洋に限らず、日本でもそうだけれども、図書館が教会、寺院と密接なかかわりがあるからだ。フィラデルフィア図書館会社を設立したベンジャミン・フランクリン、ボストン公立図書館の設立に関わったエドワード・エヴァレット、ジョージ・ティクナーは、キリスト教のユニティリアン教会と関係が深い。図書館を熱烈に振興した人たちの何人かは宗教色が強い。
 それだけに、本好きのおばさんボランティアたちは、くだらない、下ネタ交じりのコメディーや落語なんかと、自分たちのストーリーテリングを一緒にしてほしくないのだ。

 それでも、ストーリーテリングは実に多様な側面を持っている。さまざまな歴史的、文化的、社会的背景のなかで生み出されたものだから、日本の本好きのおばさんたちが唱導するストーリーテリングだけとは限らないと心に留めておこう。

19:34:00 | falcon | comments(0) | TrackBacks