February 11, 2010

「ヴィヨンの妻」と戦争

 先月から、図書館で真保裕一著『栄光なき凱旋』を借りて読んでいる。もう文庫本も出ている。真保さんは「図書館で借りて読むなんて!」と怒ることもないだろう。





 太平洋戦争に巻き込まれた日系アメリカ人の青年たちの苦悩と活躍を描く。戦闘の場面も生々しいが、戦争の悲惨さを日系アメリカ人の青年の立場で描いている。日本人でもなく、アメリカ人でもない微妙な立場の青年たちの苦悩は深い。
 青年たちの一途な思いが爽やかな印象を残す言いたいところだが、一歩引き下がったところから描いている。

 映画『ヴィヨンの妻』を観てきた。
 広末涼子さんはセリフのない演技が凄く上手だった。セリフが入るとぎこちなく感じるが、主人公(作者太宰治の投影)をひたすら愛するカフェの女給を魅力的に演じている。

 ところで、太宰治が活躍した時代は太平洋戦争の真っ只中だった。ちょうど『栄光なき凱旋』の時代背景と重なる。

 太宰治は中学2年生の時から愛読していた。『人間失格』を読んで、鬱屈した思いを秘めて、自殺する自分を夢見たこともある。しかし、太宰文学の魅力は『人間失格』だけでは語りきれない。初期の作品集『晩年』が好きだ。『津軽』も悪くない。『グッドバイ』の突き抜けた明るさと洒落っ気も好きだ。太宰治というと、『走れメロス』の爽やかさの半面、心中と自殺、薬物中毒、不治の病・結核など「暗い」印象が強い。けれども、明るく、ユーモアあふれる作品も多い。
 太宰の生きた時代は明治末から大正時代を経て、昭和大恐慌、太平洋戦争、終戦後の時代だった。たしかに自分の人生をもてあそび、死に惹かれる自分を気取っていたのは、感心できることではない。しかし、軍国化の中、戦いで死ぬことを恐れぬように教え込まれていた青少年たちがあふれていた時代だった。もしかすると、心中にしても、自殺にしても、太宰なりの戦争へのアイロニーだったのかもしれない。

 それにしても、才能に溢れながら、人生をもてあそびすぎたと思う。

23:17:46 | falcon | comments(0) | TrackBacks