November 05, 2010

教えてもらわなければ何も考えない人たち

 ガーン。
 授業アンケートの弊害は何度も、ブログで述べてきた。

 その場の気分で書きたい放題に書かれるのは、極めて迷惑な話だ。そんなに不満があるなら、無記名ではなく、名乗ったうえで、発言した以上、責任を取る態度で言ってほしいと思う。無記名を良いことに他人の気持ちをもてあそぶのは、卑劣で意気地無しだ。

 えっ、このブログだって、似たようなものだって!そんなことありませんよ。もうFalconの実体は暴かれていますからね。

 つくづく思うのは、受講者は教えてもらうことばかりを望んでいる。自ら考えて、発表する、レポートを書くことに慣れていない。演習科目でも自分で考えようとしないで、先生が正しい答えを解説してくれるのを待っている。その正しい答えを憶えれば良いと思っている。それならば、教えるだけに重点をおくと、癪に障るのは、へそ曲がりと言うか、つむじ曲がりと言うか、教えられるばかりではつまらないと言いだす受講生もいる。それならば、自分で考えて演習する時間を与えると、答がわからないから、教えてくれの大合唱。これじゃ、何をやっても処置なしと言える。

 内田樹氏の『街場のメディア論』で物凄く納得できたのは、学生が消費者になってしまっていることが良くないと指摘している点だ。これだけは読む価値に値する。今や学生・受講者たちのほうが立場が強い。彼らにしてみれば、高い授業料を払ってやってんだから、良い授業を提供しろよと言いたいのだろう。そのくせ、授業に出たがらないで、休講ばかりを望んでいる。明らかな矛盾だ。未熟で混乱している状態のものに、理路整然とした考えが浮かぶのを期待できないけれども。
 授業料払っていれば、卒業も就職も保証してくれて、当然だろうという高飛車な態度だ。Falconの場合、資格課程だがら、学生たちは資格を出せの一点張りだ。

 図書館の科目はいくら学んでも、就職が保証できないつらさがある。だから、何を言われても、言い返せないつらさもある。
 この点では、博士課程を修了しても、満足な就職先が無く、ワーキングプアーになるのと同じで、「詐欺だ」と訴えられても同じだ。

 無理をしなくても大学入学できてしまう今の制度を変えてゆかないと、学生・受講生の態度は一層つけ上がるばかりだろう。

 と、自分も何を言っているのだか、わからないことをグダグダと述べたが、嫌なことは笑い涙で受け流すしかないなあと思ってしまう。
 とにかく、自分で考えることの面白さを学生や受講生に味わってもらいたいと切に望んで、秋の夜空を眺めている。

21:40:13 | falcon | comments(0) | TrackBacks