June 07, 2009

難しい本を読む

 よくよく考えてみると、読書のしかた、How to readって、教わったことがありません。
 今の学校では読書のしかたを教えているかもしれませんけど、Falconは教わったことはありません。小学校から中学校までは図書館の使い方だって、まともに教えてもらわなかったと思います。Falconの場合は、たまたま高校で専任の司書教諭の先生に出会って、図書館の使い方を教わったので、幸運でした。
 それにしても、読書のしかたなんて、学校で教わりませんでした。自然に身についたといえば、そんな気がしますが、来年は「国民読書年」ですから、きちんと読書のしかたを学校で教えるべきでしょう。

 本来なら国語の授業で「読書のしかた」を教えるべきでしょう。

 思い出してみると、国語の授業では教科書の文章を音読して、漢字の読み方と意味を辞書で調べて、形式段落と意味段落に分けて、大事なところに線を引いて、先生から質問されて、自分が思っていることを言うと無視されて、他のクラスメートが意見を言うと黒板に書き出されて、褒められているのを恨めしそうに横眼で眺めていたことだけしか思い出せません。そして、作文を書かされたこと、詩を書いたこと、短歌や俳句を作らされたこと、でも、一度も先生の目に留まらず、忘れ去られて、抜き打ちで行う漢字の書き取りテストで満点が取れなくて悔しい思いをしたことばかりが走馬灯のように蘇ってきます。

 「でも、さあ、国語の先生の免許、持っているんでしょう?」

 ええ、たしかに持っています。
 それにしても、教員免許って、意外と簡単に取れます。教員採用試験に合格するのは極めて難しい、特に国語と社会は。

 話が横道にそれました。
 ということで、まともに読書の方法なんて習わなかったのです。
 読書は誰もが自然にできることのように思われています。まるで、食事を取れば、消化ができるように、思われています。しかしながら、読書は誰もが自然にできることではありません。食事と違って、生きてゆく上に絶対必要とはならないからです。読書をしていると、少し得をするくらいなので、すべての人が読書に対する欲望を持つわけではありません。
 ここで話をひっくり返しますが、少しの得とは言いつつも、現代社会では読書をしていたほうが生活する上で有利になることがあります。現代社会は非常に複雑化しており、知らないと損をすることのほうが多いのです。読書をすると、不利益を蒙らないこともあります。読書で、金儲けができて、幸せな結婚ができて、理解のある友人と家族に囲まれて、豊かな人生を送れるのを保障されませんけど、惨めな思いをする機会を軽減してくれます。

 前置きが長くなってしまいしました。
 (えっ、ここまで前置きなのか!)



 高田明典著『難解な本を読む技術』(光文社新書)2009.05

 読書の方法を述べた本の中では出色です。平野啓一郎さんの『本の読み方』(PHP新書)と双璧を成すと言えば、いささか大げさですが、どちらも、丁寧に、面倒がらずに、しかも、正攻法で読書の方法を述べています。
 平野さんの著作がどちらかと言えば小説の読み方であるのに対して、高田氏の著作は難解な哲学書・思想書の読みの指南書です。もちろん、ほとんどすべての読書法に通じるものです。
 いままで読んできた読書法についての本は、おおむね著者の読書自慢が多く、結局のところ、「自分に合わないよなあ」と溜め息ついて、本を閉じていました。
 速読法も、「目を早く動かせ」「意識を集中しろ」とかで、特別訓練しないとできそうもない、軟弱者のFalconの肌にあわないものでした。似たテーマの本を何冊も読むならば、速読は無理なくできることもあります。「スナック菓子」を食べるのと同じですから。
 プルーストの『失われた時を求めて』やジョイスの『ユリシーズ』を「早食い」、つまり速読するのはもったいない。じっくり味わって「手の込んだ料理を食べたい」ですね。
 高田氏の著作を読む中でドキッとしたことが2つありました。
 一つは「棚見」です。これは書店の棚を見て、その分野の知識の全体像をつかむ方法です。「棚見」に熟達すると、「この書店の棚はヒドイ」ことに気が付くそうです。実は図書館でも利用者は「棚見」の技術は必要で、逆にいえば図書館側は「棚作り」の技術が必要ということです。図書館では分類法に従って排架する制約がありますから、「棚作り」を個性的にはできませんが、それでも利用者に「ヒドイ」と思われないような工夫が必要です。
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23:40:03 | falcon | comments(0) | TrackBacks

なつかしき地名を発見

 「図書館、自衛隊、銃撃戦、立川、、、」
 パラパラとめくると、こんなキーワードが目に付きました。

 えっ?まだ、拘っているのかですって?
 いえ、いえ、実はこれ、村上春樹氏の新刊『1Q84』上巻をめくっていたら、目に付いたんですよ。

 5月の末、発売日前だというのに『1Q84』は都心の大型書店では山積みで売っていました。
 ところが、6月に入ると、どこの書店でも1巻は売り切れ続出で、2巻も棚にちらほら残る程度の売れ行きでした。テレビの番組で購買意欲を煽ったからでしょう。
 6月4日、丸善・日本橋店で、たまたま1巻を1冊見つけてしまいました。店内の張り紙には、1巻は売り切れていて、6月10日くらいに入荷予定とあったのですが、2階の平置きに置いてあったのです。最初は2巻を1巻のジャケットで覆っているのかと思い、中身を確認すると紛れもない1巻でした。ページをめくっていると、上のようなキーワードが目に付きました。

 帰りの電車の中で、疲れが湧きあがりつつ、まどろみながら読みふけっていると、ヒロインが首都高をタクシーで向かう方向と逆の方向に、電車が向かっていることがわかり、なんとなく面白くなってきました。

 先のほうをパラパラとめくっていると、「二俣尾」という地名が書かれているのに気付きました。
 「二俣尾駅」に登場人物たちが降り立つのです。
 二俣尾なんて、小説には登場しそうもない地名です。JR青梅線の青梅駅と御岳駅の中間にある駅です。今は青梅駅から奥多摩駅(昔は氷川駅と言っていた)までは奥多摩線と言います。無人駅で、周辺には吉野梅郷、吉川英治記念館、川井玉堂美術館があり、多摩川の渓流の美しい景勝地ですが、そんなに知名度の高い場所とは思えません。
 ですが、Falconが中学生の時、奥多摩から青梅に残る平将門伝説を調べていた時、よく二俣尾へは行きました。天気のいい日は立川から自転車で二俣尾まで行ったことがあります。
 ここには、平将門の子孫と称した戦国時代の豪族・三田氏の居城である辛垣(からかい)城がありました。城跡は駅近くの山側にあります。城と言っても、天守閣のある立派な城ではなく、中世の山城です。三田氏は北条氏によって滅ぼされました。駅の近くには海禅寺という古刹があり、散策するのは風情があります。

 というわけで、『1Q84』にハマりそうです。
 『海辺のカフカ』は四国・香川県の高松市にある架空の私設図書館が舞台になりますね。『1Q84』でも東京の区立図書館が登場します。村上春樹氏は図書館にこだわりがあるようです。
 まだ読み始めですが、『海辺のカフカ』のように2人の登場人物のエピソードがパラレルに語られる構造です。

 『1Q84』がきっかけになって、春樹ファンが二俣尾に押し寄せるなんてことは起きますかね。でも二俣尾は景色の素晴らしい良いところですよ。友人たちもいます。

02:52:27 | falcon | comments(0) | TrackBacks