June 25, 2009

本当は怖くない心霊写真

 私、心霊写真が大好きです。



 小学校の頃、オカルトものにハマりました。神秘的な出来事にひかれる年頃なんですね。幽霊、霊媒、超能力、念力、テレパシー、UFO、宇宙人・・・・・・いまだに怪奇物には、のめりこみます。この系列で好きな映画は、『オーメン』『13日の金曜日シリーズ』『ゾンビ』系(←趣味が支離滅裂)

 心霊写真と聞くと、どうしても読まずにいられません。
 実は、この本、欧米の心霊写真について叙述しているのですが、日本と違って、欧米では恐怖の対象ではなく、むしろ家族・知人が霊となっても身近にいてくれる証として大切にしているものらしい。特に心霊主義では、かけがえのないものなのです。
 また、科学・技術、もちろん写真の技術が進歩すると、すぐれた芸術的な「心霊写真」が登場してくるという歴史も明らかにしています。大げさにいえば、心霊写真を取りたいという気持ちが、写真の技術を進歩させたのではないかと思いたくなるほど、人々の気持ちが切実だったようです。というのも、2つの世界大戦で多くの人を失った人々の心のよりどころ、つらい気持ちを乗り越える方法だったとも言えます。

 霊の存在を信じるか?
 信じていてもいるし、信じてもいないとも言える。変な言い回しですが、私にとって霊の存在はこのようにしか言い表せません。
 現代人は、特に現代の日本人は、神も霊も信じなくなりました。でも、神や霊を信じていたほうがいいと思います。ただし、自分の欲望をかなえてくれる神や霊を信じてはいけません。また、他人の欲望をかなえる神や霊を信じるのは危険です。
 神や霊を信じることで、自分の中に社会の中で守らなければならない規範ができます。つまり、身勝手な欲望のままに生きることを規制してもらえるからです。
 心霊写真を見て、怖がるも、心が安らぐのも、大切なことだと思います。
 どうせ、合成写真だろう?と思っても、心のどこかで霊がいると思っていたい。霊のおかげで、受け入れがたい奇妙な体験、つらい体験も癒されます。

 ところで、近代日本人の苦悩を描いた夏目漱石ですが、実はテレパシーを信じていたのかもしれません。正確にいえば、信じたかったのかもしれません。『行人』の中で、テレパシーの話が出てきます。やりきれない苦悩を超自然的なもので解決してみたいとまで、思いつめたのかもしれません。神や仏、霊の存在を信じられなくなったことから、近代人の苦悩が始まると言ってもよいでしょう。神や仏、霊魂によって押さえつけられていた欲望が解放されて、逆に生きづらくなったと言えます。やはり、霊魂は存在すると思い直したいですね。

 そうそう、大切なことを書き忘れました。邦訳の副タイトルに「メディア」とあり、本文の中でも言及されていることですけど、英語の「メディア」には「霊媒」という意味もあります。気になる人は辞書で引いてみてください。最後のほうに「霊媒、巫女」という意味が出てきます。
 だから、メディアを迂闊に使うのは危険です。色々な意味がありますので!


01:18:12 | falcon | comments(0) | TrackBacks