April 13, 2009

オーヴェル・スュル・オヮーズの春

 クレイュ駅からポントワーズ行きの電車にのる。地元のリセアン(高校生)たちが乗り込んでくる。この日は水曜日だったので、授業が半日だったのだろう。フランスの小学校は水曜日を休みにしている場合が多いし、コレージュ(中学校)とリセ(高校)は水曜日半日授業のところが多い。その代わり、ほかの曜日は7時間目まであって、5時くらいまで授業があったりする。
 電車はオヮーズ川に沿って走るので、川岸の眺めが美しい。おそらく、この春の季節が一年のうちで一番美しいのだろう。印象派の画家たちもこうした光景を眺め、絵心をかきたてたのだろう。

 ああ、やっと着いた。
 オーヴェル・スュル・オヮーズの駅を降りると、目の前の小高い丘にゴッホが描いた教会が聳えている。駅前の大きな道を渡ると、教会への近道がある。早速、上ってみよう。教会までは、あっという間に着く。残念なことに、教会の上部が改修工事中で覆われてしまって、ゴッホが描いた絵のような光景は見られなかった。それでも、ゴッホの絵のように眼前に迫りくる威容に圧倒される。
 教会の前の道を登って行くと、広々とした草原に出る。この草原のなかに墓地があり、フィンセント・ヴァン・ゴッホとテオの墓がある。墓地の壁に沿うようにして、2人は安らかな眠りについている。春のうららかな日差しが2人の悲劇を癒すかのようだ。
 墓地から出ると、草原の中の道にぽつんと看板が立っている。「何だろう」と近づくと、ゴッホの最晩年の作品『カラスのいる麦畑』だった。このあたりで描いたようだ。そう思ってみると、その当時の光景がよみがえってくる。看板から教会へ向かって伸びる道を戻る。ちょうど教会のわき道にでる。ここから西に向かってゆくと、ゴッホが宿泊して、なくなる数日間を過ごしたラヴー亭、ドゥービニのアトリエなど主な見所が続く。
 今ではラヴー亭は1階がレストラン、2階と3階がゴッホ資料館として公開されている。ゴッホのなくなった部屋は今でもそのまま残っている。ゴッホの魂が漂っているようで鬼気迫るものがある。
 ツーリスト・オフィスに立ち寄ると、主な見所を紹介してくれる。ガイドブックを持っていても、一度は立ち寄っておきたい。
 ツーリスト・オフィスの上はドゥービニ資料館になっていて、また近くにはドゥービニのアトリエもあるが、どちらも休館だった。
 ゴッホが頼りにしていたガシェ医師の家までは、ツーリスト・オフィスから徒歩で20分位だが、時間を気にせず、のんびり歩いた。あまり観光客もいないし、静かでほのぼのとした時間が流れている。桜があちこちで咲き乱れて、家の庭先の花々も我が世の春とばかりに咲き誇る。
 ところどころに画家たちが描いた絵の看板があり、村全体が絵画館のようだ。その光景がそのまま残っている。ゴッホやセザンヌたちがキャンバス片手に横道から現れて、すれ違ったとしても、不思議でないくらいだ。
 ガシェ医師の家は、この日は版画家の展覧会場だったので、入場無料だった。小さな家だが、ここに多くの画家たちが集った。
 ガシェ医師の家を出て、西へ向かってゆくと、セザンヌが描いた『首吊りの家』がみえる。なぜ、こんな物騒な名前が付いているのかは諸説あるらしい。それにしても、その当時の光景がそのまま残っている。
 この村はそんなに広くはないけど、1日たっぷり過ごせる。
 パリの喧騒に飽きたら、ぜひ訪れることを勧める。

 帰りは無事にポントワーズ駅まで行き、北駅行きの電車に乗り換えて、パリに帰り着いた。切符はパリ市内だったら有効なので、北駅から先へ行く場合も問題ない。ただし、駅構内から出たら前途無効だけど。

18:55:22 | falcon | comments(0) | TrackBacks