December 25, 2009

江戸時代にも民間活力導入

 民間活力導入って、最近始まった事かと思ったら、江戸時代からあったことがわかりました。

 『江戸の経済システム』によると、和学講談所、蕃書調所、講武所など、学術研究施設や軍事教練施設などは、幕府から土地を与えられて、その土地を借地などに活用して、その収入で独立採算していたようです。指定管理者制度とは、かなり違いますけど、幕府の認可とともに、できるだけ自ら費用を賄って運営していたんですね。

 和学講談所と言えば、塙保己一が始めた日本の学問を学ぶ研究施設です。現在の麹町、大妻女子大のあるあたりです。塙保己一は盲目でしたが抜群の記憶力で日本古来からの書物を記憶して、後に群書類従を編纂した人です。中国・東洋の学問を学ぶ研究施設は昌平坂学問所(JR御茶ノ水駅の北側、湯島聖堂と東京医科歯科大学の近辺)がありました。

 和学講談所の場合、幕府から直接に土地を与えられたのではなく、町奉行が土地を管理して、そこから上がる家賃などを運営資金に回してもらったようです。今に例えれば、都の住宅供給公社が管理する団地の家賃を運営費に使っていたと考えればよいのかもしれません。

 講武所は築地に建てられましたが、やがて神田三崎町(現在、日本大学の法学部の近辺)に移転してしました。幕府からは火除け地となっていた秋葉原のあたりをもらいうけ、そこに歓楽街をオープンして、その地代を運営費に回していたようです。そこの芸者さんたちは「講武所芸者」と名乗っていたとか。

 『江戸の経済システム』を読んでいると、景気が盛り上がった元禄時代のあとの「享保の改革」の時代、田沼意次の公共工事や商業資本で潤った時代の後の「寛政の改革」の時代と、現在が気味が悪いくらい似ていることを痛感します。江戸に周辺の農民が流入して、耕作地が荒れてきて、江戸や大坂の商人たちに農地の運営をさせることは、現在、企業が過疎地の農地を運営することと酷似しています。

 歴史に学ぶことは大いにあります。

15:40:32 | falcon | comments(0) | TrackBacks

December 23, 2009

吊革について

 首都圏の私鉄各線の車両では、最近、長い吊革と短い吊革がある。ユニヴァーサル・デザインを意識してのことらしい。つまり、背の低い人でも、背の高い人でも掴まれるようにという工夫である。
 しかし、これまでFalconは網棚というか、座席の上の荷物を置く棚にかばんを置こうとして、吊革をを持ち上げてしまい、荷物を置いた瞬間に吊革の握る部分が額、あるときには頭側部、はっきりいうと耳の近くに直撃して、たんこぶができるほどの怪我をした。吊革があたった直後は痛みをあまり感じないのだが、しばらくたつと猛烈に痛くなる。痛みが一週間近く続く。特に額に直撃したときは痛かった。

 思い余って鉄道会社に苦情を言いたいのだが、所詮、自分が気をつけなかったことがいけないのだからと諦めている。

 もし、同じような経験をされた方がいたら、コメントを頂きたい。

 また、鉄道会社の方で対策をお考えいただけるなら、ありがたい。

 ちなみに鉄道が日本で開通したころは本当に皮でできていたようだ。だから「吊革」というらしい。これも『タモリ倶楽部』か、『ブラタモリ』の受け売りだけれども。

 ところで、ロンドンの地下鉄には「吊球」がある。コイル状のバネの先に強化プラスチックの球が付いている。はじめてみたときには、妙なものを連想してしまった。だって、ゆれるとビヨーン、ビヨーンって動くんだもん。

02:04:01 | falcon | comments(0) | TrackBacks

December 22, 2009

名著薄命

 本当に面白い、興味深い本は、絶版になってしまい、忘れ去られてしまう。

 先日、古新聞を片づけていたら、書評欄で鈴木浩三著『江戸の経済システム』(日本経済新聞社,1995)が紹介されていて、これは読んでみたいと思った。それで探し始めたのだが、書店では手に入らない。図書館のOPACで検索したら、貸出可能だったので、早速予約して、借りた。図書館というのは実にありがたいと思う。絶版になった本が手に入るのだから。

 とにかく、面白い。江戸時代についての本は結構出版されているが、経済システムから解説している。
 江戸時代は、米を取引する現物経済と金・銀・銅貨を用いる三貨経済で、今から考えると実に複雑な経済体系になっていた。米相場、金相場、銀相場で、江戸・大坂・京都の金融・財政・取引が動く。しかも、電話もファックスもインターネットも無い時代に、こんなに巧妙な経済システムができあがっていた。

 江戸の天下普請も興味深い。先日、NHK『ブラタモリ』で、JR御茶ノ水駅に並行して流れる神田川が江戸時代に手掘りで切り開かれたと紹介されていたが、この本でも触れている。これを読んでいれば、『ブラタモリ』が百倍とまではいかないけれども、数倍楽しめる。
 江戸時代の火事は放火が多い疑いがあるという視点も興味深い。火事で町の区画整理を行ったり、住居の建設で経済・財政が潤うという「焼け太り」のような裏事情があり、火事が単純な災害だけで無かったという。しかしながら、命を落とし、住む家を失った人々のことを思えば、数百年経っているからと言って面白がるのは慎もう。

 江戸時代も、幕府の財政危機が起こり、金貨改鋳などを行ったり、貿易赤字を解消したり、産業振興・農地改良を行ったりと、呑気に暮らしていたわけではないことが、この本を読むとよくわかる。「昔は良かった」どころか、昔も庶民の暮らしは楽ではなかった。江戸の人々の喜怒哀楽までも行間から伝わってくる。

 簡潔な文章で、江戸時代の重要項目を経済の視点から、書きあげているので、大変勉強になった。

 まさに名著薄命である。

13:58:22 | falcon | comments(0) | TrackBacks

イタリアの教育制度?

 今、イタリアの教育制度・学校制度について調べている。

 アメリカ、英国、フランス、ドイツ、フィンランドの教育制度・学校制度は、比較的簡単に調べられる。ところがイタリアに関してはほとんど情報が無い。一応、信頼できる情報として、外務省のホームページから得られる情報がある。図書では数十年前の情報が掲載されているが、最近の情報は少ない。雑誌記事・論文で最近の情報が数件ある。

 イタリアの教育省の情報で調べるしかないのだろうか。

 イタ語も一応勉強しているから、チャレンジしてみるか。

13:29:25 | falcon | comments(0) | TrackBacks

December 21, 2009

こんなこと言うとマズイかもしれない

 『アメリカで大論争!!若者はホントにバカか』を読み終えて、暗澹たる気持ちになった。

 実は、この本、読書大好きボランティアおばさん、読み聞かせおばさん、「読書命」とタトゥを腕にしてそうな人たちが泣いて喜びそうなことが、アメリカの統計事例から導いた結果として山ほど書いてある。著者は「読書は子どもの語彙力を伸ばし、将来の学力向上を保証する」と繰り返し述べている。
 それじゃあ、コンピュータやインターネットは子どもたちに悪影響を及ぼすと書いてあるかというと、そうでもない。読書をしないと学力向上はしないとはあっても、コンピュータやインターネットは子どもたちの学力向上には影響しないと書いてある。巷にあふれているIT技術が子どもたちを犯罪に巻き込み、被害者にして、脳にまで悪影響を及ぼし、精神的にも低下させるというIT性悪説とは違う。つまり、コンピュータ・IT企業が学校に売り込むほど、IT技術が子どもの学力向上には役立たないと言っている。著者は単なる機械嫌いで、読書が良いと言ってるのではなく、むしろ著者は善良なIT技術の利用者で、子どもたちに少しは読書をしたほうがいいぞ!、そうしないと社会を支えるような市民にならないぞ!と呼びかけている。20歳を過ぎた若者たちに読書を進めるのは、若干、手遅れと考えて、あきらめてもいるけど。

 町山氏の解説は、コメントもいただきましたが、的を射ています。しかしながら、町山氏はアメリカの第一次ベビーブーム世代(団塊の世代)と第二次ベビーブーム世代(X世代)の谷間の時代に生まれ育った世代(1955〜65年生まれ)は、アメリカの歴史上、読み書きと数学で最低点を出した世代と学力試験に基づいて述べているが、一方、日本では、この世代が就学年齢であったころ、数学と理科の国際学力調査(1981年 第2回国際数学教育調査(SIMS) 1983年 第2回国際理科教育調査(SISS))で世界のトップレベルであった。だから、日本の町山氏の世代は恥じることは無く、誇るべきである。
 そのため、当時のレーガン政権の時代に発行された報告書『危機に瀕する国家(危機に立つ国家)』(1983年)で、第2次世界大戦の敗戦国であった日本・ドイツの目覚ましい復興を羨み、アメリカの教育の危機を訴えた。それだけ、当時の日本の子ども〜若者の教育水準が高かった、日本の教育の「黄金時代」だった。
 アメリカは、レーガン政権に続く、ブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ(子)政権でも教育改革を推進したのにも関わらず、この結果だった。

 日本の大学生の学力が下がったのは、「大衆化」したという見方もあるけれでも、「構造的」な原因がある。
 第2次ベビーブーム世代が大学に入学したころ、大学の入学定員を増やした。増えた受験生を追いかけるように、大学が次々と新設された(学校基本調査の年次統計によれば、1989(平成元)年に499大学、1999(平成11)年に622大学、2009(平成21)年に773大学で、この20年間に274大学も増えている。驚異的な数字だ!学部・学科の増加を考慮すれば、途轍もない器の広さになっている)。それに伴って、大学教員(国立大学では教官)の学則定員が増えた。ところがその後、受験生が激減した。そうなると受け入れた大学教員の人件費を維持しなければならないので、入学定員を増やす、学部、学科を増やす、規制緩和で新設大学が増える、大学院まで次々と創設される。それなのに受験生は減る一方で、受験デフレ・スパイラル(悪循環)が起きている。受験生の競争力はどんどん落ちている。20年前だったら、大学に入学できなかったレベルの学生が、わんさか大学生になっている。
 『アメリカで大論争!!若者はホントにバカか』の挑発的な発言に、日本の若者の中でも、読書をして、真面目に勉学に励んでいる学生は腹が立つと思う。入学する学生の数に合わせて、大学入学定員が適正であれば、日本の大学生の教育水準はかなり高い。ところが、競争力の低い(学力が低いとは言わないけれども)学生が多いために、高いレベルの学生の割合が薄まっている。それならば、大学の数を減らせれば良いけれども、なんとしてでも入学金・授業料をかき集めるために大学は過熱気味になって、歯止めも利かない最悪の状態になっている。こう言ってしまえば、えげつないが、大学は「学問の府」ではなく、「受験料・入学金・授業料を集金する企業」になっている。大学業界は無制限に受験生を飲み込む「ブラック・ホール」状態になっている。その渦中にあって、Falconは
最悪の「ビッグ・バーン」が起きないかと冷や冷やしている。

 嫌な年の瀬になってしまった。

19:19:22 | falcon | comments(0) | TrackBacks