October 30, 2009

三猿の謎、解決するのか?

 10年くらい前、IFLA国際図書館連盟のタイ・バンコク大会に参加した時、スコータイからバンコクまで、大会の参加を終えて、サムイ島に滞在して帰ってきた。
 そのとき、ロッブリーという町に立ち寄った。ここは遺跡と猿の町だった。猿は神様の使いとして大切にされている。とにかく、町中、猿が至るところにいる。ノラ猿だらけで、動物園の猿山の中に迷い込んだ錯覚に陥る。

 たしか、お寺の博物館に入った時、三猿の置物のコレクションを見た。
 三猿といえば、日光の東照宮の馬屋にある左甚五郎作の木像が有名だが、日本だけのことわざかと思っていた。
 ところが、三猿は世界的に知られたことわざで、日本固有のものではなかった。どういう云われがあるのか気になっていた。



 上記の本を発見して、思わず買ってしまった。

 長年の疑問が解けそうな気がしている。

 ところで、三猿といえば、Falconには苦い思い出がある。
 それは、小学校6年生の時、修学旅行で日光へ行き、家族へのお土産として、三猿の置物を買って帰ってきた。
 玄関を開けると、母が昼寝をしていた。
 「お帰り、お土産、何買ってきたの?」と母が薄眼を開けて、尋ねたので、「三猿、買ってきたよ」と答えた
 「えっ、何、バカな子だねぇ。日光まで行って、サンダルなんか、買ってきて。本当に、お前は、うす馬鹿だね」と母は怒鳴った。
 Falconは、いきなり怒られたので、悔しくて泣いてしまった。
 「見せてごらん、サンダル!」と言われたので、恐る恐る、お土産を差し出した。
 「ああ、ごめんねぇ、三猿だったんだね」
 母は、とんだ聞き違いをしていた。今では、家族中の笑い話になっている。

 とにかく、思い出の三猿の謎、興味深い。

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October 29, 2009

『鞄図書館』てっ?



 読書週間に突入ーうっ。
 んで、神保町のあたりをぶらついた。道端に並べられた古本に目移りしながら、三省堂へ入った。

 芳崎せいむ著『鞄図書館』(東京創元社)

 あらゆる書物を所蔵する鞄図書館と帽子をかぶった中年男の「司書」さんが放浪しながら、織りなす人間ドラマが展開する。鞄図書館はしゃべる。利用者は命綱をつけて鞄の中に潜り込んで本を借りてくる。命綱をつけないと、戻ってこれない。貸出期間は1年。

 ゲーテの格言(箴言)が散りばめられている。思えば、ゲーテも図書館司書をしていた。

 司書は戦わなくても、良いんだよね。

22:19:14 | falcon | comments(0) | TrackBacks

October 28, 2009

ついに、どろ高が最終巻!



 とうとう『共鳴せよ!私立轟高校図書委員会』の最終巻となる第4巻が刊行された。



 『聖(セイント)おにいさん』の4巻と一緒に買い込んでしまった。

 どろ高は、もっと連載を続けてほしかった。ネタを読者から募集して、続けることはできなかったのだろうか。再刊を期待する。

00:38:36 | falcon | comments(0) | TrackBacks

October 27, 2009

赤いザリガニ



 またまた、あの岩波科学ライブラリーから『ザリガニ』が刊行された。
 Falconが育った東京の郊外では、今から20年以上前、空き地や雑木林が残っていたので、自然が豊かだった。それに多摩川と流域に広がる田んぼでは、カエルやオタマジャクシ、ザリガニなどがよく取れた。
 ずうっと疑問だったのは、こんなに身近にいるザリガニなのに、図鑑を見ると「アメリカザリガニ」と書いてあったことだ。日本にいるのに、なんでアメリカなの?
 後で、アメリカから輸入されたことは知ったけれど、ならば、ニホンザリガニはいないのか?という疑問が残っていた。
 それは、先日、NHKの『ダーウィンが来た!生き物新伝説』で取り上げられたので、解決した。ニホンザリガニは北海道と東北地方の一部に住んでいた。アメリカザリガニが本州以南で繁殖して、ニホンザリガニを駆逐して、北海道に残ったのかと思ったら、ニホンザリガニはもともと北海道に住んでいて、ニホンザリガニの体の一部が江戸時代に薬として珍重されていたらしい。

 日本には輸入されたウチダザリガニがいるようで、これが北海道で繁殖して、生態系を崩しているらしい。

 それにしても、アメリカザリガニも見かけなくなった。それだけ身近な田んぼや用水路、沼、池が少なくなってきた。
 たしかに用水路や沼、池は、子どもが遊んで、溺れる水難事故が多いから危険だけれども、危険が身近にあって、常に緊張感にさらされることが大切な気がする。
 ハサミを振り上げて、威嚇するアメリカザリガニが姿を消してゆく。どこか哀愁を感じてしまう。
 読み終えて、少年の日を思い出して、映画『スタンド・バイ・ミー』のエンディングと重なった。

23:25:50 | falcon | comments(0) | TrackBacks

October 26, 2009

アカデミック・ハザード

 水月昭道氏の『アカデミック・サバイバル』を読み終えた。面白かった。うーんと唸って考えさせられた。ちょっと違うぞ、と思うことがあった。

 水月氏は学会へ行き、懇親会で良い印象を与えるように、と勧めているが、学会に近づくのも気をつけたほうが良い。

 学会には、その分野で最高権威を誇る大学および大学院が支配している学会と、新参者を妙に好待遇してくれる学会がある。

 いくつかの最高権威を誇る大学および大学院が支配する学会では、その大学と大学院の出身者以外は常に冷遇される。まさに「平家に非ずは人に非ず」なのだ。こうした学会を「平家学会」と呼ぼう。見も知らない人が現れると「どこの馬の骨?」という目で見られる。出身者以外が調子に乗って、発表者に質問しても、司会者が「お時間が来ましたので、質疑応答の時間は打ち切ります。後ほど懇親会でお話しください」と、何もなかったかのように無視される。そのくせ、「どこどこの大学の先生は顔を見せないけど、お勉強が足らないね」と陰口をたたく。よそ者は全く寄せ付けない、閉鎖的な空気のよどんだ世界だ。
 そのうえ、発表のほとんどが子飼の大学院生のお披露目、顔見世興行、襲名披露になっている。発表が終わった後、師匠の先生が「どうぞ彼を、彼女をお宅の大学で雇っていただきたく候」と挨拶している光景すらある。しばらくすると、その大学院生が地方の大学の先生になったことを風の便りで聞く。学会の発表大会は最高権威を持つ大学院の植民地拡大政策の一環である。帝国主義も甚だしい。
 「平家学会」で名を揚げたいなら、最高権威を持つ大学院に進学するしかない。

 それにしても、大学は非常勤講師の口もどんどん無くなっている。というのも、「養老大学院」の退院者が残ったパイを食べつくしているからだ。それはカイコが桑の葉を食べる様と言ってもいい。
 大学院の中には定年退職間際の人を受け入れているところがある。「養老大学院」だ。報道番組でコメンテーターをしていた人が、大学の先生になることは少なくない。新聞社、テレビ局、雑誌社に務めていた人、芸能人、スポーツ選手で大学院に入学して、大学の先生になる人は多い。受験生受けするからだ。特に新聞社やテレビ局にいた人は需要性が高い。大学で「メディア文化論」を開講すると学生たちがわんさか集まる。受講して、先生と親しくなるとジャーナリズム関係の仕事への就職の道が開けるかもしれないと期待を寄せられる。
 鳩山政権になって、事実上、高級官僚、キャリア組の「天下り」ができなくなった。しかし、それは特殊法人への天下りができなくなっただけで、新たな天下り先として狙われているのが国立大学法人、私立大学である。文部科学省の官僚が天下ると言っても、うまみのある特殊法人は少ない。そこで、以前から私立大学へ天下るケースが多かった。テレビ報道されることは少ないが、週刊誌では10年前から、その筋の大学として知られている大学がある。「局長」クラスの人が教員になったり、事務局長になったり、役員になっている大学もある。

週刊ダイヤモンド10月31日号で、文部科学省から大学への天下りを指摘している。是非とも、ご参照を。「天下り」マンがいる大学は、低倍率でも潰れない。しかしながら、「天下り」マンを雇うために学費が値上がりするのも考えものだ。

 入学定員割れしても、大学は簡単には潰れない。私学助成金が打ち切られるだけで、なんとか持ちこたえることもできる。尤も、業績不振でいきなり倒産する一般企業と違って、大学は在校生がいるので、入学する募集定員を打ち切っても、閉学するまでに少なくとも4年はかかる。危険な大学は、文部科学省から天下った「人間の盾」でなんとか御家断絶、お取りつぶしを免れようとしている。「天下り」マンたちが大学の再興、復活を支えてくれる。となれば、暇つぶしのような学問をプラカードに掲げたノラ博士は門外謝絶になっても仕方ない。大学の存亡にかかっているときに、文学だの、哲学だの、社会学だの、呑気なことを言ってもらっちゃ、煙ったいだけだ。

 学会には、こうした養老大学院の修了者、「天下り」マンたちが寄り集まっている学会がある。教職課程を6年制にする、教職大学院を強化する動きが、学校の管理職、つまり校長たちを色めき立たせている。退職後の花道に大学の講師の職が待っているからだ。そういう人たちを受け入れて、疑似研究者に仕立て上げる学会も存在している。
 そこはゾンビとヴァンパイアが跳梁跋扈する異界、伏魔殿だ。若い研究者で大学の専任教員になった人は、皮膚を引きちぎられ、臓物を引きずり出され、その新鮮な肉体を食いつくされ、生温かい生き血を吸いつくされる。生ける屍となった老大家たち、養老大学院の退院者、天下りマンたちが、一気に襲いかかる。はじめはにこやかに近寄ってきて、学会の懇親会費はタダでもいいからと言ってくれて、籠絡されて、「先生の講義を見学したい」と言われ、そのうちに「休講することがあったら、代講してもいいよ」と言われ、重圧をかけられる。
 結局、定年間際の人たちも、なんとか大学の教員になろうと必死になっている。しかも、この人たちは時間もあり、お金もあり、記憶力は減退しているが、人生経験豊富で、向学心に燃えている。教えるだけで、研究者になる意思はない。高額な研究費もいらない。非常勤講師にうってつけだ。
 ますます専任の研究者は無用になる。

 仮に若い研究者は肉体を食いつくされなくても、噛みつかれただけで、ゾンビ、ヴァンパイアとなって、醜い姿で獲物を待つようになってしまう。
 「早く専任になりたあーい」と叫びつつも、正義の心を持って、悪と戦う妖怪人間・ノラ博士と、ゾンビ、ヴァンパイアの餌食になるのとどちらが幸せだろうか。
 噛みつかれてなるなら、「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」のトム・クルーズやブラッド・ピットみたいなヴァンパイアなら良いけど、「ドーン・オブ・ザ・デッド」のゾンビにはなりたくない。「スリラー」でマイケル・ジャクソンの後ろで踊っているゾンビも勘弁してほしい。

 Falconは元々、大学の先生になる気は無かった。大学院を修了しても、図書館のお兄さんでいられるなら、それで充分だった。
 たまたま、なってしまったので、後進のためと思い、努力しているだけだ。今、辞めたら、せっかく期待している受講生たちに申し訳ないので、このまま続けたいと思っている。
 ゾンビとヴァンパイアの学会で、Falconは今や「幽霊会員」になっている。幽霊なら噛みつかれることもない。それにお化けには、学校も試験もないしね。

 けど、『ゲゲゲの鬼太郎』の映画では、ショコタンが妖怪図書館の司書の役をしていたんだって。妖怪の世界にも図書館があるんだね。とか、ごまかして、しんどい書き込みを締めくくる。

01:34:58 | falcon | comments(0) | TrackBacks